仙遊寺ご住職 小山田 憲正 先生
法話 平成17年11月12日
 みなさんの学校には建学の精神のひとつとして“至誠”という言葉がありますね。誠に生きる。私は、この“誠に生きること”ということをみなさんに是非とも守ってほしいと思うのです。大切なのは自分自身がどのように生きるかということ。相手によってくるくる変わるようではいけません。自分が正しいと思ったことをとことん貫き、主張する。そんな人間であってほしいと思います。

 それと、もうひとつ。ここにいるのは10代半ばから後半の生徒さんたちですね。そんなみなさんに私はこう申し上げたい。みなさんはいま、自分自身をつくるまさにそのときにいます、と。“野球にばかり夢中になって何の意味がある、無駄じゃないか”と言う人がいるかもしれません。でも私は決してそう思いません。一生懸命、一つのことに打ち込みなさい。打ち込む対象はなんでもいいのです。何でもいいから一つのことに夢中になる。一生懸命打ち込む。そしてこれをまず1年間続ける。それを是非とも実践してみてください。

 私自身のことを少しお話ししましょう。私は大学を卒業してお坊さんになる修行に入りました。この修行期間中、私は誰にも負けないくらい一生懸命、修行に打ち込みました。
 朝、みんなが5時に起きるところを私は4時に起きました。私が修行をした高野山というところは山の上です。冬には氷が張ります。その氷を割って、毎日水をかぶりました。そして、昼からはものを食べないと決めました。20代の頃。みなさんと同じ食べ盛りの頃です。そんなときに私は昼からいっさいものを食べないと決めました。それを1年間通しました。1週間の断食もしました。体重計に乗ったら40kg。ここまで体重を落としては危ないような状態でした。それでも私は断食を実行しました。
 さらに、他にも何かできることはないかと考えました。お経を丸暗記することをしました。起きているときは必ずお経をあげていました。あるいは片っ端から本を読みました。修行時代ほど勉強をした時期はありませんでした。
 修業時代には、自分を追い込み、追い込みました。そして最後に何をやったか。無言の行をやったのです。3カ月間の無言の行。一日中、一言もしゃべらない生活です。そんな生活をみなさん、一日でもやったことがありますか。その無言の行を3カ月間です。友達が“おはよう”と言っても、ただ頭を下げるだけ。一言も言葉を発しません。しまいには友達も腹を立てて“あいつ、わしらを馬鹿にしているんじゃないか”とさえ言い出しました。でも言い訳もしないし、できない。無言の行ですから。
 修行の期間中、決して愚痴をこぼしたくないと思いました。坊さんになるための大事な期間なのだから、そのようなときに愚痴をこぼしたくない。人の悪口を言いたくない。行を最後までやりぬ こう。そう思って努力しました。
 自分で決めた課題に徹底的、一生懸命に取り組む。みなさんにも、きっちりと刻んでいけるような一年一年を、しっかり持ってほしいと思うのです。

 29歳から39歳まで、私はこの寺で小僧を10年間やりました。このようなお寺は、普通 だったら私のような在家(普通の家)から来て住職になるという可能性は、ほぼゼロです。先代はむちゃくちゃ厳しい方でした。休みをいっさいくれない。お小遣いもくれない。それが修行だと言って。10年間、そんな修行を続けました。

 みなさんには“辛抱(しんぼう)というものが大事だよ”ということを言いたいと思います。レギュラーになれる人となれない人、この中できっちりと分かれてしまうと思います。“自分は球拾いかな”と思う人もいるでしょう。でも、私はそんな人には、こう言いたい。“一生懸命、立派に球拾いしなさい”と。何かをとことんやるということが大切。そしてそれを続けることが大切だと私は思います。

 私はいま、警察の道場に空手を教えに行っています。私の寺にも道場があるのですが、町の警察の道場にも教えに行っています。そこは世界チャンピオンも出している道場です。私は29歳でここに来て、ここから自転車で町まで通っています。毎日のように練習しています。いま、四段です。ですが、私は段は気にしません。道場には七段、八段の人もいます。でも私は気にしない。段が低いからといって、それで劣るとは考えません。私は四段であっても、ここで頑張っている。人間、同じなんだよと私は言いたい。人間、平等なんだよと。私はこのことを強くみなさんに伝えたいと思います。

 みなさんはいま、四国に来ている。ここのお遍路さんは、みな、白衣を着ています。ここにいらっしゃる先達の石原さん。石原さんももう何十年もお参りをしていらっしゃる。でも何十年も白衣のまま。私は、このことが大事だと思います。

 このお寺に来て30年になりますが、いま、私はこのお遍路道を世界遺産にしようという運動をやっています。この運動をやるために私もみなさんと同じように田舎道を歩いたり、野宿したりしています。それで私はこの田舎を歩いていて大発見をしました。“この自然、道、建物が大事なのではない。この時代に伝えなければならないのは何なのか。それは、このような「共に生きる」という世界、こういう価値観を伝えることこそが一番大事なのではないか”ということに気付いたのです。
 世界のいろいろなところででテロが、戦争が起こっています。いま、アメリカでどんなことが起こっているのか。夏にハリケーンがありました。世界で一番豊かな国アメリカが大打撃を受けました。フランスでもいま、若者が暴動を起こしています。暴動を起こしている人たちはどんな人たちか。差別されている人たちです。平等で自由な国。そう唱えている一番の先進国が差別をしているのです。でも、差別をしている側は、自分たちが差別をしているとは思っていない。問題なのはその違いなのです。肌の色が違うから。アフリカから来た人種だから。それだけで仕事がほとんどない。そのような現実があるわけです。
 私はいま、“世界中が平等でないとだめですよ”と訴えています。そしてどんな戦争にも反対しなければならないと思っています。これが私に与えられた役割だと思っています。

 いま、この寺でも修行をしている人が何人かおります。坊さんになるための修行をしている人もいます。また、自分の心のお荷物、病…それらをかかえて修行している人がいます。この前、お遍路さんに“医者なんか必要ないよ”と言ったんです。鬱病の人でもアルコール依存症の人でも、半年、1年でみなさん立ち直ってここを出ていきます。ここで修行をするうちに“自分で生きよう”という気持ちが出てくる。そうすれば、病(やまい)も自然と治ります。
 でも、ここでの修行はけっして生やさしいものではありません。修行の途中で、私はびんたをくらわすこともあります。これは暴力です。逆に、私が“この人は関係ないな”と思ったら、そのときは優しく“帰りなさい”と言うだけです。厳しさの裏側に何があるか。大事なのはそこだと思います。人間関係において、拳骨を食らわしてやることが必要なときもある。私はそう考えています。

 私は、努力しない人間は大人でも子供でも同じですよと言います。だめな人間はだめです。頑張ろうという人間は、結果的に自分の道を必ず見つけます。
 私は何もないところから始めました。後ろ盾なんて、何もありませんでした。その結果、いま、したいことをしている。本当にありがたいことだと思っています。世界遺産の運動もどんどん広がっています。

 お寺で修行をしたくなったら私の寺にいらっしゃいと私は言います。死にたくなったら、私の寺に修行にいらっしゃいと私は言います。その代わり修行は厳しいですよ。ここで修行をしているみなさんは朝の4時くらいに起きて便所掃除をします。体を一生懸命動かします。昨日、私は200kmくらい離れたところに行って、帰ってきたのは夜の10時です。いま、外で掃除をしている人は午後11時過ぎに帰ってきました。そしていまは、いつものように起床して掃除をしている。そんなふうに厳しいのです。でも、みんな自分の力を信じています。自分がどうやって生きるか、そのことに悩みながら。
 だから私は“みんな、一生懸命悩んで失敗しなさい”と言います。一生懸命やったら、必ず失敗があります。でも私はその失敗を無駄だと思いません。その失敗から必ず学ぶことがあると思うのです。その失敗が、そこからまた出発するための“足元”になると思うのです。こういうことをみなさんには是非、体験してもらいたいと思います。

 お大師さんも同じでした。お大師さんは大学中退だったのです。お釈迦さまに至っては家を捨てたのです。一番だらしない親父でした。でも、そこが人間の原点なのですよ。自分の失敗をしっかりと見つめること。これが大切なのです。失敗しない人間は、ごまかした人生を生きていると私は思います。だから、失敗して一生懸命悩みなさいと私は言います。真剣に生きなさい。それが一番大切なことです。

 私はいま、この遺影を前にして、思います。ご家族の方々は心臓をえぐられるような痛みを生涯持ちながら生きていかれるのだろうなと。だからみなさんも、自分の家族のことを考えながら生きていってほしいと思います。あなたの命は自分一人のものではないのです。

 命をどう生かすか。お釈迦さまの最期の遺言の言葉は「自灯明(じとうみょう)」という言葉です。これは“自らを輝かせよ”という言葉です。自らを輝かせる。これは“信じるのは自分だよ”ということ。“自分を生かすのだよ”ということです。こういう生き方こそが大事だと思います。みんなの能力はそれぞれ違うと思います。でも、一つひとつが比べることのできない命です。

 自分の良さは他の誰にも分からない。そういう自信を持ってほしいと思うのです。走るのが速い者もいる。ホームランバッターもいる。ですが、走るのが速かったり、ホームランをたくさん打てる人間だけが価値ある人間ではないのです。自分の中に、もっといろいろな物差しを持ってほしい。そして、絶対に自分自身を応援してほしい。自分が一番だという気持ちを決して忘れないでほしいと思います。自分をだめだと思う人間に、周囲の人たちは決して救いの手を差し伸べてはくれません。応援してくれて、引っ張ってはくれません。私は頑張る人間に期待を持ちます。私自身も、人間としていつまでも頑張る人間でありたいと思っています。

 そろそろ時間ですが、私はみなさんにもう一度言います。“しっかり悩んでほしい”と。こうして校長先生も、このお遍路を一緒に回ってくださっている。その気持ちを是非とも、みなさんには感じ取ってほしいと思います。
 もっともっと熱中してほしいと思います。夢中になってほしいと思います。そのような一生懸命に熱中し続けた生き方をしたとき、たとえ結果はどうなろうとも自分自身、納得できると思います。そんな人生を送れることを期待します。

 今日はご苦労様でした。