ともに現役で
医学の道に進んで ─
秀光での6年間が
今の僕達をつくってくれた

キラリ★SWEAT & SMILE VOL.08 秀光から福島県立医科大学医学部医学科に進んだ兄弟 渡辺 凱さん・城さんキラリ★SWEAT & SMILE VOL.08 秀光から福島県立医科大学医学部医学科に進んだ兄弟 渡辺 凱さん・城さん

 

中学校・高等学校の6年間を秀光で過ごし、大学へも共に福島県立医科大学医学部に現役進学という兄弟を福島県福島市内の自宅に訪ねた。

兄の渡辺凱さんは、2012年3月に秀光を卒業。福島県立医科大学医学部医学科で6年間学んだのち、昨年、2018年春から同大学付属病院で研修医として勤務している。弟の城さんは、2019年3月に秀光を卒業し、4月から同大学医学部で学んでいる。 

2人の“秀光での6年間”が、凱さんは研修医としてのいまに、弟の城さんはこの年の春から始まった医学部学生としてのいまにどのようにつながっているかを中心に伺った。

勉強のことや海外研修、京都研修…
とても魅力的に感じました

最初に質問したのは、中学に進学するにあたって秀光を選んだ理由。

「まだ小学生でしたから、そんなに深い考えはなかったというのが本当のところです。いまにして振り返れば、医学部に進学するには秀光は最適だったと思うのですが、当時は“中学受験というのを体験してみたい”という程度のものでした。“東京はちょっと大変そうだけど、仙台くらいなら行き来するにも楽でいいかな”と…。それで当時は仙台に隣接する多賀城市に校舎のあった秀光を受験し、入学しました」(兄の凱さん)

兄の凱さんと7歳違いの城さんは─。

「中学に進む準備をしていた頃、兄はすでに秀光を卒業していたのですが、兄の話を聞くと秀光での勉強のこと、海外研修や京都研修など、秀光での6年間がとても魅力的に感じられたのです。兄が現役で進んだ福島県立医科大学医学部に私も現役で合格できたのだから、結果的には秀光を選んで本当によかったと実感しています」(城さん)

 

Photo/サイエンス・コ・ラボ」の様子

秀光での理科実験の授業を通して、
“科学すること”の面白さを知りました

「秀光での思い出といえば京都研修で夜中に布団の中で友達と騒いでいて朝食に遅れて先生に叱られたことなど、楽しかったことばかり」と話す凱さんですが、6年間の中で将来への道を決定づけることになるとても有意義な体験をしている。

「高校の課程に入って、科学の特別講座が毎週1回、放課後にありました。これは化学や物理など科学の分野のさまざまなテーマについて、徹底的に実験してみて、検証していくというものでした」

教科書に書かれていることを学校の化学室や物理室での実験を通して、自分の目や手を通して実際に体験してみること。ここには“探究”することへの魅力があり、実験を通して“体験”したことへの大きな喜びがあったと話す。この魅力、喜びが忘れられなくて、大学生時代にも自主的に実験に取り組んだとのこと。

「医学部に進学し、大学3年生から基礎研究の段階に入って、専門の病理学会で発表する機会がありました。細胞の脂肪、黄色い色をしたものですが、そのまわりに血管が走っていて、そこにある幹細胞を取り出して、どんな性質があるかを調べる… こんな研究に取り組んだのですが、そういう研究、実験に夢中になれたのは、間違いなく秀光時代の科学の特別講座の体験があったからだと思います」

“識ること”に対して、そのような姿勢で取り組むということを身につけられたのは、これからの医者としてのキャリアを積んでいくにあたって大きな財産となったと凱さんは話す。

現在の秀光では、秀光コースの生徒が特別進学コースの生徒ともに東北大学の先生の指導により大学レベルの高度な実験に取り組む『サイエンス・コ・ラボ』を通して、「科学的探究心」「知的好奇心」が養われる指導が行われている。

 

一人ひとりのオーダーメイドで
受験指導をしていただきました

 

「医学部に進もうと決めたのは高校課程1年生のとき」と話す弟の城さんだが、城さんが福島県立医科大学医学部へと現役でたどり着く道のりの中では、大学受験への指導をしてくださった秀光の先生方の存在が大きいと話す。

「クラスの人数は25人しかいなかったので、一人ひとり“オーダーメイド”で指導してもらえました」

大学受験に向けての進路指導は、高校課程3年生になる前、2年生の1月から3月までの間に行われる。志望の大学・学部を決めた時点で、そこから受験までの1年間をどうやって過ごしていくかを先生と生徒が一緒になって考え、具体的なスケジュールを立てていく。

「7月までに高校の勉強をすべて終わらせて、夏休み中に苦手な科目を克服。そして9月、10月は赤本に取り組み、11月くらいからセンター試験の対策へと入る。これは私に限られたメニューですが、3年生になる前に先生と二人で綿密なスケジュールを作成。あとはこのメニューを必死にクリアしていくだけでした」

それで、結果的に現役合格できたわけだが、「これは先生がそれまでの5年間の私をしっかり見てくださっていて、僕の性格や能力を的確に捕まえてくださっていたからこそ」と城さんは振り返る。

「こんな綿密な計画の中で勉強を進めていれば、塾に行く時間はつくれないし、まったく必要もありませんでした」

 

コミュニケーションする力の大切さを、
日々、実感しています

現在、大学付属病院で研修として働く兄の凱さんにとって、医者に仕事をしていく上で思いのほか重要と思えるのは、人と人との“コミュニケーション能力”と話す。

「医者の仕事は、ある種、体力仕事です。学生のとき、実習で外科の手術に立ち会ったのですが、朝から夜まで飲まず食わずということもありました。ですが、研修ではあっても医者として患者さんに接するにあたっては、いま、一番大切と感じているのは“コミュニケーション能力”の大切さです」(凱さん)

研修医としては指導してくださる先生との信頼関係は不可欠。その信頼関係をしっかりつくりあげることは第一の課題。そして、その先で待つのは患者さんとの信頼関係。

「基礎医学から臨床医学へと進み、国家試験をクリアすると実習に入るのですが、毎日の環境は一変します。白衣を着て医局へ行き、上の先生が見ているところで患者さんと喋らなければならない。周囲の環境はガラッと変わるのです」(凱さん)

この環境の変化に順応していかなければならない。これを苦手と感じて順応していけない学生もいるという。

「仲のいい先生にしか詳しい病状を伝えないという患者さんもいるとのこと。医者として患者さんからいかに信頼してもらえるか。この信頼を患者さんから勝ち取る力となるのが、“コミュニケーション能力”なのです」(凱さん)

そして、この“コミュニケーション能力”を、凱さんは、「まさに秀光での6年間で身につけた」と話す。

 

Photo/京都研修(2017年)

少人数で6年間一緒!
密度の濃い関係が生まれました

「秀光は規模が小さいということもあり、“横の仲”がとても良かったように思えます。グループでこじんまりとまとまるというようなことがなくて、クラス全体、学年全体で一つになって仲がいい。それで、6年間ずっと一緒です」(凱さん)

6年間の“秀光での日々”でとても密度の濃い“関係”を体験することができ、結果、その後の人生をしっかり生きていけるだけのコミュニケーション能力が身についたと凱さんは語る。

体験した秀光での研修によって身についたものも多いとも話す。

「高校時の京都研修では実行委員をやりました。毎日お昼前に集まってどんな内容の研修をやるかテーマを決めたり、実際の行動のプランを立てたり。自分たちでさまざまなことを考え、実行へと移していきました。テーマやプランづくりを生徒間で話し合って自分たちで決めていくというプロセスを通して、コミュニケーション能力というのがしっかり養われたと思います」(凱さん)

弟の城さんも思いは同じ。

「僕のクラスは25人しかいなかったので、男子も女子も関係なく、みんなでいつも一緒だった。それぞれの個性を理解し、尊重し合うことができました。こんな生活を6年間もおくれたのは、とてもよかったと思います」(城さん)

 

Photo/当時の海外研修(ハワイ)の様子

隣の席に海外からの留学生が
いるという環境の中で

この“それぞれの個性を理解し、尊重し合う6年間”は、グローバルな意識を育てることにもつながっていったと城さんは話す。

「僕のクラスには中国、韓国、インドネシアからの留学生がいました。一緒に学び、会話を交わしていると、“違うのは出身地”ということで、決して“ガイジ〜ン!”とはならない。外国人でも身構えることはない。男性、女性で構えることもなく。秀光を出た人はみんなグローバルだと思います」(城さん)

「僕のときもクラスに留学生がいました。国家プロジェクトで送られてきた優秀な中国人。僕より日本史の点数が高かった! でも休み時間に日本語わからないと言われるとみんなで教える。これは海外研修の体験で得られるよりも大きなものがあったような気がします」(凱さん)

「グローバルな市民をつくる、と校長先生はおっしゃっていましたが、本当にそのとおりになっていると思います」(城さん)

城さんはさらに、海外研修もコミュニケーション力を磨き、グローバルの意識を養うのに有効だったと話す。

「現在、宮城野校舎の先生としていらっしゃるブライアン先生は、僕がハワイ研修に行った中学生当時、ハワイの学校の先生でした。研修のひとつとして、ブライアン先生にホノルル市内のショッピングセンターに連れて行かれて、そこでお店の店員さんに英語で話しかける、と指示される。「◯△の場所はどこですか?」と質問してまわるなど、さまざまなミッションが出され、それを1週間続ける。英語が得意でなくても、しゃべらざるを得ない環境に置かれると、みんなそれなりに使えるようになります」(城さん)

この体験で英語力が身につき、そして人とコミュニケーションする力がつき、さらにはグローバルな人間に成長する素地ができたと城さんは話す。

 

医療の現場がすぐ隣に…
医学部単科大学のメリットです

兄の凱さんは、いま、研修医としての日々の折り返し点を過ぎたところ。来年3月までの研修医期間が終わったら、腎臓内科の分野に進もうと考えている。腎臓内科は西日本には比較的多くあるが、東北では少ないのだという。

「腎臓は全身に影響を与える臓器ですが、かなり特殊な臓器でもあります。腎臓がダメになると移植か透析しかない。逆に言えば移植、あるいは透析によって救うことのできる臓器でもある。腎臓内科は、僕にとってとても興味のある分野です。この科は小さな病院にはなく、たいていは大学病院にあるのですが、そこに所属して、この分野に深く深く関わっていきたいと考えています」(凱さん)

弟の城さんはこの春から医学部学生としての生活が始まったばかり。兄の凱さんを追いかけて、「やっと念願の医学部1年生にたどり着けたところ」と話します。

「進学先に福島県立医科大学を選んで良かったと思っています。一般の大学の医学部では、1年生ではまだ“仕事の現場”は遠い存在のようですが、ここは医学部の単科大学なので、臨床の先生方も近いところにいらっしゃる。まだ医学の勉強には入ってはいませんが、チュートリアル的なかたちで2年生が解剖の授業を受けるのを後ろで見る授業もあります。専門の分野へとスムーズに進んでいるシステムができているようです」(城さん)

 

原発事故の放射線災害を乗り越えていく
大学にいることに誇りを

 

城さんが「福島県立医科大学を選んで良かった」という理由はもうひとつある。それはお父さんの職場がすぐ近くにあり、その職場は『内科クリニック』であること。2人のお父さんのお仕事は医者なのだ。

「わからないことがあったときに、“専門のお医者さんに聞いてみる”ということで、父に質問したりしています」(城さん)

凱さんもまた、福島県立医科大学を選んで本当に良かったと話す。

「福島県立医科大学は、東日本大震災での原発事故の放射線災害を乗り越えていく大学として世界的にも注目を集めている大学です。福島生まれの僕がそのような大学で学べたことに誇りを感じます」(凱さん)

「医者として兄と同等の立場で話せるようになるのは最低7年後かな」と話す城さん。医学部学生としての卵として、来年春までの研修医である医者の卵として、2人の未来が大きく花開いていくことを祈りましょう。同じ「秀光出身」の2人に…。