いま考えたいこと
- 仙台育英学園 常務理事
秀光中等教育学校 校長室長
加藤聖一
「秋風の吹きぬけゆくや人の中」。これは20世紀を代表する俳人の一人である久保田万太郎さんの俳句です。人々の喧騒の中を北風の冷たい空気が少し入り混じった秋風がすーっと吹きぬけていく様は、この原稿を書いている10月下旬の景色そのものです。
そういえば、本人にとってはたった一つの小さな言葉が秋風のようにさらっと人々の間を行き交っていき、大きなうねりとなって人そして国の行く末を決めた瞬間がつい先日ありました。衆議院選挙です。
18歳選挙権が解禁されたことで、衆議院選挙の投票を初めて経験した在校生の皆さんもいるでしょう。現在、私たちが暮らす日本は今後20年~30年ひいては100年後を決める重要なターニングポイントにあります。そして、今後の日本が向かう方向を決めるのは一人ひとりの投票という決断と行動です。投票所で実際にすることは、個別ブースで自分が選びたい候補者名と政党名を投票用紙に書き、投票箱にいれることです。しかし、候補者や政党がどのような経歴や業績を残し、今後どのようなことに取り組もうとしているのかをその場で詳しく知ることは困難です。様々な人の言葉や行動に一定の影響をうけ、私たちは決断と行動をします。彼らがどのような公約を掲げているか、そして公約を掲げる背景にある日本の現状と将来を日頃から調べ、学習し、自分の意見を持つことが重要です。こういったことを踏まえ、今回、皆さんにご紹介させて頂く本は『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(著者:河合雅司 講談社発行 2017年6月20日第1刷)です。
まず、皆さんにお伝えしたいことは、現状のまま人口減少が進むと「日本の人口は100年後に現在の半分以下である約5060万人」(国立社会保障・人口問題研究所が5年ぶりに改定した「日本の将来推計人口」より)になるという“事実”です。この人口減少の要因に①出生率の減少、②高齢者の激増、③勤労世代減少による働き手の減少と経済活動の衰退、などが挙げられるということは、授業や各種メディアを通してご存知と思います。
最近、少子高齢化による人口減少に関する本は書店や図書館などでよく目にされるでしょう。これらのタイトルを掲げている本の中で本書が特徴的である点は「(中略)日本の未来図を時系列に沿って、かつ体系的に解き明かす書物」(本文11ページより)であることです。本書の第1部では、約100年後の2115年までの期間で、年代順に人口減少とそれによって引き起こされる私たちの暮らしの重大な変化がいつ、どこで、どのように、どれだけの規模で起こるかをまとめています。例えば、10年後の2027年、高校3年生の皆さんが28歳の社会人として大活躍されている頃、日本では輸血用血液が不足し、「手術ができない=病院に行っても助からない」ケースもあると本書では分析しています。輸血を必要としている人の約85%が50歳以上で、献血をしている人の約76%が50歳未満であるというデータを用い、少子高齢化が進めば、輸血を求める患者が増え、献血できる人が減り、そのピークを2027年に迎えると述べているのです。この分析には、採血後に4日間しか保存できない現在の血液製剤の技術的限界が今後10年の技術革新によって解決される可能性は入ってはいません。しかし、私たちが抱える将来の現実的な課題解決にAIをはじめとする技術革新が課題発生時点(タイムリミット)までに起き、見事解決されるといった楽観的な考えのみを持っていいのかという問題提起も読者に与えているように思います。
現在、世の中では人生100年時代と言われています。この言葉が現実になるとすれば、高校3年生の皆さんは残り最低82年間、2100年頃まで人生を謳歌することになります。その間、ご自身の身近な暮らしに大きな影響を与えるのが人口減少に伴う様々な課題です。在校生の皆さんがこれから沢山の本と出会い、体系的に知識を獲得し、課題解決の「先導者=リーダー」になる日を楽しみにしております。
平成29年度 宮城県高等学校図書館研究会 読書感想文コンクール
部会長賞
秀光中等教育学校 4年1組
桑畑伸二
この本の存在を知ったのは現代文の授業で読書感想文のおすすめの本として紹介されていた時だ。僕は教師をめざしているので、興味がひかれ読んでみようと思い、手に取った。作品を読み終えた今、人間にとって愛情を与えることがどれ程大事かということについての理解が大きく変化した。
この作品の舞台は「くず学級」と呼ばれる障害児を抱えるクラスだ。そこにシーラという精神的、肉体的虐待を受けた6歳の少女が入ることになった。彼女は教師のトリイに生まれてから初めての愛情を受ける。その愛情が徐々に彼女の心を温めていく。そして彼女を成長させていく。「シーラという子」はその5か月間を描いている。
僕はこの作品の登場人物のシーラの父親について関心を持った。彼はシーラに対して愛情を与えず、虐待をし、酒に溺れているという「悪い父親」として描かれている。しかし物語を読むにつれて彼は単なる毒親ではないこと分かってきた。
彼は30歳で14歳の少女と無理やり結婚し、その2か月後にシーラが生まれた。母親はその後、下の息子だけを連れて家を出ていった。それからシーラが小さい頃は彼はほとんど刑務所で過ごす。そして、出所後は「悪い父親」を体現するような人間になってしまった。しかし、彼が単なる毒親でないと物語を読み進めていくうちに分かってくる。
作中で、彼について「かつて痛みからも苦しみからも決して救われることのなかった小さな少年がいて、それがいま一人の男性になっているのだった」とある。彼はシーラと同等なくらい、いやそれ以上に孤独な人物なのかもしれないと、彼もまた愛を受けずに育ってしまったと、この一文が伝えている。
また、彼は失っていたシーラへの愛情を取り戻してきたのだろう。物語後半にくず学級の子供たちが「オズの魔法使い」の演劇をする場面があり、シーラの学校行事などに滅多に顔を見せない父親が訪れた場面がある。彼はシーラに対して微笑みかけていた。そして、その後にトリイに対してお金を託して「服を選んで買ってあげてくれ。」と頼んで、あっという間に姿を消した。彼はシーラに対する愛情がないわけではなかったのだ。
彼はもともとは優しさを十分に持った人間だったのだろう。ここで僕にまた一つ、新たな疑問が生まれてきた。なぜシーラの父親は優しさを失うことになったのだろうかということだ。
しかし、この問いは僕の中で想像より早く解決した。答えは愛を受け取る経験が少しも無かった、言い換えれば愛してくれる人が一人もいなかったからだ。シーラは肉親さえ愛してくれなかったが、教師のトリイから無償の愛を受けた。そのため、彼女は善意の存在を知り、愛を知ることできた。それに比べてシーラの父親は今も昔も世界に一人も味方がいないのだ。愛を知らないのだ。愛を知らない者が人に愛を与えるなど到底できっこない。だから虐待してしまったのではないだろうか。
このように考えると、虐待は連鎖のようなもので永遠に終わらないものなのではないかと思えた。愛を知らない親が子を傷付け、愛を知らない子供が形成される。またその子供が親になって自分の子を傷つける…。悪夢だ。しかし、この作品を読み、その連鎖を断ち切る存在、無償の愛を与える存在が彼らを救うのだと気付いた。それは「くず学級」の子供たちに惜しみない愛を注いだ教師トリイという存在である。
僕は今、将来教師になりたいという夢を抱いている。だから、この作品を読んでいる間教師のトリイの事をどんなタイプの教師なのかという視点で見ていた。もちろん、彼女も人間なのでシーラに対して感情を爆発させてしまう場面もあり、完璧ではない。でも、彼女はそんな時、自分の失敗を謝罪しシーラへの愛情を示し続けていた。虐待を受けて心を閉ざしていたシーラに対して、対等な立場で接していた。不幸な境遇にある子供や、重い障害を持った子供と接する時、たいていは気を遣い過ぎたり、同情心でいっぱいになって世話を焼き過ぎてしまうかもしれない。トリイはシーラを決して甘やかさず、一人の人間として受け入れて愛情を与えることができた。だから、シーラは少しずつ心を開くようになり成長していったのだ。
この作品から僕は本当の意味で愛を与えることの大切さを教えられた。本当の愛情とは決して甘やかしたり、同情したりすることではなく相手を心から思いやることなのだ。
人に愛を与えることは大変難しい。だが、それは人の一番大事な力だと思う。トリイのように、僕も学校生活を送る中で愛を与える人間になるための努力をしていこうと思う。そして将来、教師になった時に子供たちへ愛を与えることの意味を教えたいと思う。
優秀応募作品
対象図書 『高瀬舟』 森 鷗外著「努力の先にあるもの」
特別進学コース1年1組
尾形 亜稀
『高瀬舟』を初めて読んだのは中学3年生の時だった。国語の教科書に掲載されていたのだ。それまで近代文学を読んだことのなかった私は近代文学に対して、面白くなさそう・難しそうという印象を持っていた記憶がある。授業前に読んでみても、言葉には聞き慣れないものがあるし、時代背景もよく分からず、難しいと感じた。しかし、授業で読み取りをする際に『高瀬舟』のテーマを2つ与えられ、これらを踏まえて読み進めると現代に生きる私でも深く考えることができる作品だと気付いた。そのテーマとは知足と安楽死であった。
高校生になってもう一度この作品を読んで感想文を書こうと思ったのは、欲について考えてみようと思ったからだ。ニュースで散見されるトラブルは、欲が理性よりも先走ってしまったために起きたものが目につく。このことから欲とは何なのかと疑問を抱いた。また、夏休み期間に盆があったため「無くなった方について考える機会を得たことも『高瀬舟』を再考するきっかけとなった。人にはそれぞれの最期がある。そう考えると安楽死について思うこともあり、これがテーマの一つである『高瀬舟』をもう一度手にすることにした。
『高瀬舟』は森鴎外によって書かれた短編小説で、弟殺しの罪人・喜助と島へ送られる罪人の護送をする町奉行所の羽田庄兵衛の、舟の上での物語である。庄兵衛はいつものように罪人を舟に乗せ、見張りの対象である罪人の喜助を見るうちに違和感を抱く。理由を知るべく庄兵衛は喜助に「何が起こっているのか。」と尋ねる。すると喜助は「これから島で自分の居場所ができることと、二百文の鳥目を頂いたことが、今まで生活が苦しかった自分にとってはありがたい。」という内容を返す。これを聞き庄兵衛は、自分の生活と欲の無さについて考えを巡らせる。その後、庄兵衛は再び喜助に声を掛け、弟を殺めた理由を問う。喜助は、「病気で働けなくなった弟が兄の私に迷惑を掛けまいと自死を選んだが死にきれず、倒れている弟を見つけた私は『殺してくれ。』と弟に頼まれ、思案の結果、弟を殺めた。」と話す。それに対して庄兵衛は腑に落ちない点を持ちながらも高瀬舟は進み、物語は終わる。
喜助のように欲が少なく、足ることを知っているのは良いことであると中学時代の私は考えていた。しかし、最近の出来事やニュースなどを踏まえながら知足について考えるとそうでもない気がした。なぜなら、小さなことで満足していたら、それ以上の幸せを掴むチャンスさへ失ってしまうことがあると思ったからだ。成功者と呼ばれる人はある意味において貪欲なのではないか。喜助は罪人であるから、居場所と二百文が彼にとっての幸せの絶頂かもしれない。一方、私はこれから先に大きな目標を立て、努力次第でそれを達成することもできる。私は今、幸せだ。喜助にとっての居場所と二百文が私にとっての今であるならば、私は居場所より住居を、住居を得れば快適さを、そして二百文より三百文・四百文……と多くを求めるようになるだろう。そこには欲が介在する。しかし、この欲を努力のためのエネルギーとすることができるならば、欲があることも決して悪いことだとは言えないかもしれない。
また、中学時代の私は兄への負担を気に病み、痛いのに死に切れない状況であるという点から、心身ともに疲弊している弟の苦しみを長引かせる方が殺めることよりもかわいそうだと考えていた。だから、弟を手にかける喜助の行為を是とした。今もその考えはあまり変わらない。しかし、これは「喜助が後悔しないのであれば」という条件の下で、である。私は安楽死よりも弟のとった行為から自死について考えた。もし私が弟の近くにいたならば、彼を怒りたいし、止めたい。いくら病気や生活苦から兄を苦しめていたとしても、兄にとっては家族である弟が死ぬ方が悲しくて苦しいに決まっている。また、世間には生きたくても、生きられない人がいるし、大切な人を亡くしもう一度その人に会いたいと願う者もいる。それなのに自分から生きることを放棄するというのはしてはいけないことだし、して欲しくないと思った。『高瀬舟』を読んで知足・安楽死・自死について思ったことや考えたこととは他に分かったことがある。それは、中学三年の時から自分の心境や考え方に変化があったことだ。私が進化したのか退化してしまったのかは分からないが、進化であって欲しい。また、そう望む今の自分は前向きに未来に向かって歩んでいけるのではないか、と少しの自信となった。
自由読書の部 図書館研究部会長賞
対象図書『コンビニ人間』 村田沙耶香「普通」
秀光中等教育学校1年1組
熊谷 璃久
「誰に許されなくても、私はコンビニ店員なんです。」
「狂ってる。」
狂ってる・・・・・・。本当にそうなのだろうか、と僕は思う。この物語の主人公は、古倉恵子。18年間、ずっとコンビニのアルバイトをしている。それがそんなに可笑しいだろうか。確かに「普通」では有り得ない。けれど、18年も続けられるのは凄いと思うし、バイト先に自分の居場所を見出だせるなんて、尊敬に値する。だが・・・・・・。
「そんな人間を、世界は許しませんよ。」
白羽さんは真面目な顔でそう言うのだった。しかし、それを言っている白羽さんも、かなりの変人だった。バイトをさせればサボるのは日常茶飯事、来てもルール違反ばかり。口を開けば縄文時代の話をし始める・・・・・・と、「普通」の人間ではない。
では、「普通」とは何か。普通に大学を出て、普通に就職し、普通に結婚して、普通に子供を産み、またその子供も普通に独り立ちしたら、親は普通に年を取り、普通に死んでいく。これが「普通」なのだとしたら、誰もが「普通」とは言い切れない。何回も転職する人もいるだろうし、何回も再婚する人もいるだろう。またその逆で、結婚をしない人も勿論いるだろう。それに因っては子供を産む・産まないも変わってくるだろうし、もしかして殺人事件に巻き込まれて死ぬ人もいるかもしれない。ならば全員「変人」か。そう言われたらそうではない。
では、どうしたら「普通」になれるのか。これが、この物語のテーマでもある。それについて僕も考えてみたが、結局明確な答えは出なかった。だが、心は普通ではなかったとしても、外見が普通なら、それでみんな安心してくれるのかもしれない。自分がまったく望んでいないことでも、「普通」の人間はみんなしているからと周りに合わせ、あくまでも「普通」を装う。一番それがお得な方法なのかもしれないが、僕にとってそれは苦痛でしかない。そもそも、自分はみんなを安心させるために生まれてきたロボットではない。だから僕のようなタイプの人間は、「変人」と揶揄されてしまうのかもしれないが、「普通」の仮面を被るという仕事はあまりにも疲れる。
ならば「普通」でなくてもいいのでは、と思う。古倉の言った一言にも、その気持ちがよく表れている。
「人間の私には、ひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合がよくて、家族や友人も安心して、納得するかもしれない。でもコンビニ店員である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです。」
はっきり言って、古倉の生き方は「普通」ではない。けれど僕は思う。それがどうした、と。確かに、「普通」に勝るものはない。「普通」でなければ、世間から白い目で見られる。もっと酷いケースだと、そもそも目も合わせてはくれない。だからといって、無理やり「普通」になるのも可笑しい話だ。みんなの視線が怖いから、という苦し紛れの言い訳が、果たして通用するかといったら大間違いだ。ならば、この物語で言うと白羽さんのように、多少冷たい目で見る人がいようと、そんなもの気にせず、「普通ではない」生き方を貫いたほうがよっぽどマシだ。そうすれば変に悩むことなく、それでいて楽しい生活を送ることが出来る。そしてそれが、その人にとっての「普通」になるのだ。
「誰に許されなくても私はコンビニ店員なんです。」
古倉のその言葉が、人生のすべてを物語っている。誰に許されなくても、また認められなくても、自分は自分でしかないわけで、その自分を貫くことが「普通」になるための鍵になる。古倉はそのことを教えてくれた。就職もせず、結婚もせず、その前に彼氏もいない。けれど、それでいいのだ。一見「普通」には見えないかもしれないが、それが古倉にとって「普通」のことなのだ。古倉と僕とを重ねてみる。僕はたまに、「普通ではない」と言われる。しかし、それにめげたことは一度もない。自分の生き方を真っ向から否定されても構わない。なぜなら、その生き方に僕自身が満足しているから。これを読んで虚しいとか可哀想だとか同情する人がどの位いるかはわからないが、その人々に言いたい。僕は虚しくもないし可哀想でもない。相手が勝手にそう捉えているだけだ。そして実際それが僕の「普通」なんだ、と。
クラス別貸出数ベスト3 (4月1日~11月30日)
《宮城野校舎》
第1位 特別進学コース1年3組(147冊)第2位 特別進学コース2年4組(111冊)
第3位 秀光前期課程1年2組(109冊)
《多賀城校舎》
第1位 技能開発コース1年3組(198冊)第2位 英進進学コース2年3組(140冊)
第3位 外国語コース3年2組(130冊)
年間貸出数ベスト3
《宮城野校舎》
第1位 ぼくは明日、昨日のきみとデートする(9冊)同率2位 キノの旅2(8冊)
君の膵臓をたべたい(8冊)
第3位 キノの旅15 他 (7冊)
《多賀城校舎》
第1位 空想科学読本11(9冊)同率2位 日本の名城知識と鑑賞の旅(8冊)
さがしてみよう日本のかたち (8冊)
第3位 空想科学読本10 他(7冊)
みちのく読書旅行
東北をルーツとし、多種多様な世界で活躍する人々の物語。
様々な姿で描かれた東北の本を集めました。本の世界に飛び込んで、「東北旅行」に行きましょう。
◇乗車区間 みちのく(過去) ⇔ 東北(未来)
お好きな行き先(本)を選んでください。
途中下車・乗り換えは自由です。
(借りたらきちんと返しましょう。)
◇有効期限
「読んでみたいと思った日」~「読みたくなったら何度でも」
東北出身/ゆかりの作者たち
「豊島ミホ『檸檬のころ』/幻冬舎文庫」「さぁ、むさぼり喰うがよい」
舞台としての東北
「小川 一水・柴田 勝家・野尻 抱介『ILC/TOHOKU』早川書房」震災を超えて、未来へ
「嶌田 洋一『つなぐビール』ポプラ社」編集後記
今年2018年は、「明治元年から満150年」の年に当たります。東北の人々もまた、時代の変化の中で必死に戦ってきました。今回の特集には、困難を何度も乗り越えて生きてきた東北の人々の姿をもっと知りたいという思いを込めました。
150年前に起きた革命の中心となったのは、他国の現状を学び自分の意見を持って行動した若者たちでした。加藤聖一先生のお言葉にもある、「日本の現状と将来を日頃から調べ、学習し、自分の意見を持つ」ことが自分を、社会を少しずつ良い方向に導く原動力となるのではないかと思います。(浅川)