お知らせ

特別進学コース スリランカ大使館次席公使講演会

日本にとってつながりの深い
スリランカを知る良い機会に

 特別進学コース2年生の生徒を対象にスリランカと日本の交流についての講演会が2021年12月15日(水)、本校宮城野校舎ゼルコバホールで行われました。今回は駐日スリランカ民主社会主義共和国大使館のチャンダナ・ウィーラセーナ次席公使を講師としてお迎えしました。

 講演に先立って、常務理事の加藤聖一先生から日本とスリランカの深いつながりについて以下のようなお話がありました。

 「鎌倉の大仏で有名な高徳院の境内に、仏教の言葉が刻まれた顕彰碑があります。“人はただ愛によってのみ憎しみを越えることができる。人は憎しみによっては憎しみは越えられない”。これは、第二次世界大戦後、日本の行く末を決めるサンフランシスコ講和会議で、スリランカ(当時はセイロン)のJ・R・ジャヤワルダナ元大統領が、演説で引用した言葉です。この演説で、多くの国が損害賠償を取り下げ、日本は窮地から救われました。本日の講演会で、生徒の皆さんにスリランカのことをよく理解していただき、日本が受けたご恩を次の世代に紡いでいきたいと考えています」

 講演では、はじめにスリランカの地理や面積、気候、言葉、宗教などの基本情報と、豊かな自然、野生動物、産出される宝石、料理、そしてスリランカの紅茶「セイロンティー」などスリランカの魅力が紹介されました。そして後半は、スリランカと日本との友好関係を語る上で重要な1951年の「サンフランシスコ講和会議」についての詳細と、1952年以降から現在まで継続されている日本のスリランカへの支援活動についても語られました。

 生徒たちも深く知ることのなかったスリランカの地理や文化、そして日本との友好関係について改めて考えさせられた様子でした。

 

スリランカ民主社会主義共和国大使館
チャンダナ・ウィーラセーナ次席公使 講演会
【スピーチの内容】

"how and why Sri Lanka and Japan are so close”
「スリランカはなぜ日本と近しい関係にあるのか」

校長先生、 教職員、学校関係者の皆様、 そして生徒の皆様、駐日スリランカ大使館の次席公使として、本日皆様の前でお話しできますことをとてもありがたく思います。
生徒の皆様、そして先生方にとりまして、本日の私のお話が少しでも学びのあるものとなればという思いで、講演を2つのパートに分けさせていただきました。

1つ目のパートでは、皆様にスリランカをご紹介します。ぜひ日本とスリランカを比較して みてください。

そして2つ目では、日本とスリランカはなぜ近しい関係にあるのかをご説明します。ここでは日本とスリランカの友好関係について、いくつか例を挙げてお話しします。

皆様が途中で退屈しないといいなと思いまして、今日はスライドと、それから途中でビデオもご覧いただきながら進めて参ります。ぜひ楽しみながらお聞きください。

それではまず始めに、スリランカでの挨拶をご紹介します。
日本の「こんにちは」にあたるスリランカでの挨拶は、「アーユ・ボ―ワン」です。
「アーユ・ボ―ワン」には、「長生きしてくださいね」という意味があります。
スリランカではこのように、両手を合わせて言います。

続いて、スリランカの地図を見ていきましょう。
スリランカは日本と同じく、島国です。
日本の北海道の78%ほどの大きさの島です。
皆様、スリランカがどこにあるかご存じですか?
インドの南に位置する、南アジア地域の国です。
広いインド洋に浮かぶこの島は、戦略的な位置にある国と言われています。

続いて、「スリランカ」はどんな国か、ご紹介していきます。

「光り輝く島」を意味するスリランカは、紅茶や宝石の産地として有名な国で、2500年以上の歴史の中で人々が育んできた素晴らしい文化を持っています。
その昔、古代ムーア人の商人たちは、スリランカを「喜びの島」と呼んでいました。
他にも、昔のアラブ商人たちは、嬉しい驚きという意味の「セレンディブ」と呼びました。
そして中世の商人であり旅行家のマルコ・ポーロはスリランカを「世界で最も素晴らしい島」と述べました。
また、アメリカの小説家、マーク・トウェインは「美しく、最も贅沢な熱帯」と評しました。
さらにインドのマハトマ・ガンジーはスリランカの自然の美しさについて「地球上で最も美しい」と感想を述べています。

そして、一般事情も見ていきましょう。

国の正式名称は、スリランカ民主社会主義共和国です。
首都は「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」ですが、商業の中心都市はかつての首都であった「コロンボ」です。
国の面積は6万5,610平方キロメートルです。

スリランカの熱帯地域の国です。
年間の降水量は1613mmm、 気温は低い土地では平均で24.7℃、高いときで32.3℃
標高の高い土地では18.5℃、最大で27.7℃です

公用語はシンハラ語とタミル語で、この2_つの言語を結ぶ連結語が英語です。
スリランカは多民族国家です。異なる民族と様々な宗教を信仰する人々が暮らしています。

民族の内訳は、
シンハラ人が(74.9%)、
ミル人が(15.3%)、
スリランカ・ムーア人が(9.3%)、
そしてそのほかの民族が0.5%です。

信仰する宗教は、
仏教徒が最も多く(70.1%)です。
続いてヒンドゥ教徒が(12.6%)、
そしてイスラム教徒が(9.7%)、
キリスト教徒が(7.6%)、
そのほかの宗教が0.04%です。

続いて、社会指標です。
スリランカの人口は約2,191万9000人で、
人口の分布は都市部が18.2%、農村部が77.4%、山間部を含むその他の地域が4.4%です。
人口増加率は0.5パーセントです。

平均寿命は77歳、
平均識字率は92.9パーセントで、
各国の社会の豊かさや進歩の度合いをはかる包括的な経済社会指標である
HDP人間開発指数は0.782。

乳児死亡率も南アジアの国で一番低い9.9で、スリランカでは必要とする人が適切な 医療を受けられています。
南アジアの国の中でスリランカの識字率は非常に高く、医療が充実しています。

続いて、スリランカの経済指標を見て行きましょう。

スリランカの名目GDPは2019年で840億ドルで、昨年は807億米ドルでした。
GDPの内訳は主要産業である農業が6.9%、工業が26.4%、サービスが57.5%、その他が9.2%です。
一人当たりのGDPは2019年で3852ドルで、昨年は3582ドルでした。
GDP経済成長は2019年で2.3%でしたが、昨年はマイナス3.6%となりました。
5.5% (2020) 昨年の失業率は5.5%でした。

ここからは、スリランカの魅力についてご紹介していきます。

スリランカには地域ごとに様々な生態系が見られ、低地乾燥地帯、低地湿原地帯、中央丘陵地帯、中間地帯などがあり、それぞれ特色があります。

豊かな生態系を生み出しているのは、低木地帯、大草原地帯、湿地帯、河川林、マングローブ林、雲霧林、熱帯雨林などさまざまです。
スリランカには野生動物が生息する15の国立公園があります。
スリランカは、陸と海それぞれの最大の哺乳類であるゾウとクジラを一日に両方見ることもできる唯一の場所です。
世界最大の動物のゾウと、そして世界最小の動物でとがった口先が特徴のトガリネズミはどちらもスリランカに生息しています。
スリランカ南東部ヤーラにはヒョウが多く生息し、世界で最も多くのヒョウが見える場所として知られています。

また有数の砂浜、広大な熱帯雨林、たくさんの滝は、スリランカの美しい自然の魅力です。
数々の文化財、アーユルヴェーダ、スリランカ料理、たくさんの美しい景色、伝統的なお祭りや天然の宝石などもスリランカが誇る魅力の数々です。
スリランカでは宝石もたくさん採れます。
(各地で色とりどりの輝く宝石が採れています)

スリランカの宝石は世界的にも有名で、世界中で愛されています。
(イギリス王室の指輪に使用されているこのブルーサファイヤはスリランカ産です。チャールズ皇太子からダイアナ元妃に贈られた婚約指輪は、現在ウィリアム王子からキャサリン妃へと受け継がれています)

こちらはスリランカ料理です。
(バナナの葉に包まれたカレーをはじめ、スパイスの効いた辛い料理が多いです)

そしてスリランカのお菓子です。
(油で揚げたお菓子はスリランカの定番で、甘いお菓子を好んで食べます)

それからスリランカの野菜と果物です。
(熱帯の島国のスリランカは、色鮮やかで美味しい野菜と果物も生産されています)

続いて、スリランカの紅茶「セイロンティー」です。
(スリランカの主要産業である農業のうち、特に生産がさかんな農作物が紅茶です。広大な茶畑では手作業で茶摘みが行われ、工場で紅茶へと加工されていきます)

そして、スリランカで見られる野生動物たちです。
(スリランカにはたくさんの野生動物たちが生息しています。野生動物たちを見るサファリツアーが観光客に人気です)

スリランカではアーユルヴェーダも有名です。
(アーユルヴェーダというとエステなど美容を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、スリランカでアーユルヴェーダは古くから伝わる医療として、副作用を起こさずに身体の不調を治す目的で行われてきました)

そしてスリランカの伝統的なお祭りです。
(神様のご神体を象の背中に乗せて各地を巡り、さまざまな願いを込めるペラヘラ祭りはスリランカ最大のお祭りです。きらびやかな衣装をまとい、神様をお迎えします。)

また、スリランカが誇る世界遺産もご紹介しましょう。
(スリランカには世界遺産が8ヶ所あります。そのうちの6ヶ所が文化遺産、2箇所が自然遺産です。紀元前からの古代遺跡や、中世の都、そして雄大な自然が世界遺産に登録されています)

続いてはスリランカが誇る絶景の数々です。
(左下は、スリランカ独特の漁法、ストルトフィッシングです。海からの景観のほかにも、山々では滝も見られ、茶畑が広がります)


それでは続いて、2つ目のパートに移ります。

ここからは日本とスリランカがなぜ近しい国であるか、そして両国の友好関係がどのように築かれていったのかを見て参りましょう。
私は、日本とスリランカが長年にわたって、友好関係が続いていることをとても誇りに思います。
先程もお話ししましたように、日本とスリランカはともに島国です。
歴史的にも、両国には文化的、そして宗教的なつながりがありました。
時代は明治維新までさかのぼります。特に1880年から1900年にかけて、日本から多くの仏教徒がスリランカやインドへ渡り、仏教を学んでいました。
彼らの目的は、テーラワーダ仏教と呼ばれる「上座部仏教」を研究し、スリランカとインドにおける仏教のはじまりを見つけることでした。

その中でも、当時の日本からの訪問団のリーダーであった北畠師の弟子の釈興然(しゃくこうねん)師は、スリランカに数年滞在して上座部仏教を学びました。
そして、上座部仏教の僧侶になりました。

釈興然(しゃく こうねん)師は、日本人初の上座部仏教徒として知られています。
それ以来、日本からスリランカ、スリランカから日本へと、仏教徒による訪問が繰り返し行われ、交流が続きました。
また同じ頃、1890年代から、スリランカの仏教の僧侶で、国外への仏教の普及の先駆者であったアナガリカ・ダルマパーラ師と、アメリカ人の宗教家ヘンリー・スティール・オルコット師の二人による仏教普及ための取り組みもありました。
1899年から1913年の間に、アナガリカ・ダルマパーラ師は何度も日本を訪れています。
活動の拠点をスリランカからインドへ移し、その後インドにおける仏教を護り、後世へ残すために日本の僧侶たちに協力を依頼し、力を尽くしていました。
アナガリカ・ダルマパーラ師は、インドにある古くからの仏教寺院や仏陀が生活していたといわれる場所の保護、そして維持することに力を注いだ偉大な仏教徒の一人です。
彼の功績は日本の僧侶たちのお力添えがあってこそのものですので、当時の日本の仏教関係者も同じく、尊敬され、感謝されていると私自身信じております。

こうした仏教を通じた両国の交流により、日本とスリランカの友好関係が培われていきました。
そしてもう一つの重要な交流は、昭和天皇が皇太子であられた1921年3月28日にスリランカをご訪問されました。ちょうど100年前のことです。
皇族のご訪問は、特にこの時代は国家間の関係の構築に大きな影響を与えました。
両国の友好関係は、1950年代初頭に更なる発展を遂げていくところとなりました。
そのきっかけとなった出来事をぜひ皆様に知っていただきたいです。日本とスリランカがいかに近しい関係であるかを表している出来事で、本日の私のお話の中で特にお伝えしたかったことです。 スリランカはかつてセイロンという国名で、1948年にイギリスの「セイロン自治領」として独立しました。

独立はしたものの、まだイギリスの支配下にありました。
その後、セイロンは1951年に開催された「サンフランシスコ講和会議」に参加しました。
この会議は、第二次世界大戦後の日本の将来が決まる会議でした。
日本と連合国側との戦争状態を終結させる目的で開催され、戦後の領土問題や日本への賠償請求などについて話し合われました。
この会議に参加したセイロン代表団のリーダーは、当時の財務大臣で、のちに大統領となるJ.R.ジャヤワルダナでした。
サンフランシスコ講和条約の作成中、多くの国々が日本に対して異なる意見を持ち、特にアメリカ、イギリス、ソ連、中国の4大国の間で意見の対立がありました。
この会議では、イギリスの自治領であるセイロンが演説をする機会を得ました。
ジャヤワルダナ元大統領は、自分の国を代表してだけではなく、アジアの国々の気持ちを演説で代弁しました。
戦時中、セイロンはイギリス領であることから日本による爆撃を受けていたにもかかわらず、演説では日本を支持すると雄弁に語りました。
セイロンも戦争中に、多くの軍隊の駐留や、国の主要輸出品である天然ゴムの不足など様々な困難に直面していました。
しかし、ジャヤワルダナ元大統領は演説の中で対日賠償請求権の放棄を明らかにしました。
そして仏教の言葉である「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」を
引用し、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えました。
私たちはジャヤワルダナ元大統領の演説から、今なお多くのことを学べるのではないでしょうか。
この演説は、当時はイギリス領セイロンであり小さな国であるスリランカが、力を持った諸外国の意見を変えるために行った歴史的な外交介入でした。

それではここで、ジャヤワルダナ元大統領についてのビデオをご覧いただきましょう。

ジャヤワルダナ大統領は、1977年にスリランカの大統領に就任した後、2期連続で大統領を務め、1989年に政界を引退しました。そして1996年11月1日に亡くなりました。
このスピーチは、その後日本の政治家をはじめ、国民の皆様から評価されました。
そして日本の仏教の僧侶たちはこの演説を大切に思い、スリランカに様々な形で支援してくださいました。
今でもほとんどの二国間協議の場では、両国の首脳がこの言葉を思い出しています。
そして今年の9月には、この歴史的な演説から70周年を迎えました。
この特別な絆のもと、日本とスリランカは1952年に直ちに国交を開始しました。

そして来年2022年には日本とスリランカとの間で外交関係樹立70周年を迎えます。
1952年以降、日本はスリランカに多くの援助を行っており、現在も継続されています。

そして日本の経済協力についてご紹介します。
日本からスリランカへの支援について、歴史を見て行きましょう。
日本は1954年に「コロンボ・プラン・プログラム」の下でスリランカへの支援を開始しました。
当時、7人のスリランカ人が日本での技術研修に参加しました。
1965年以降、日本は緩やかな条件での資金の貸し付けであるソフトローンをスリランカへ提供し、支援を行いました。
1977年、日本はスリランカに、特定の事業に対する融資であるプロジェクトファイナンスを初めて提供しました。
その後1981年には、日本がスリランカで青年海外協力隊による活動を開始しました。

1981年にJICA、国際協力機構がスリランカに事務所を開設し、現在、JICAはスリランカを支援する最も重要な機関の1つとなっています。
日本はスリランカで多くの事業を支援してくださり、それは港の整備、建築関係では空港、 道路、橋、学校、病院、発電所などで、インフラ面では水道や下水道システム、送電線、 そして貧困層の生活支援、地雷の除去、避難民の支援など多岐に渡ります。
日本からスリランカへの支援は、多くのスリランカの国民の心をつかみました。
スリランカの人々は日本が好きで、多くの人々がこの美しい国を訪れることを夢見ています。

ご清聴、誠にありがとうございました。