■Report-2
英進進学コース2年
佐藤さん

イタリア 食のスケッチ.....


イタリア のスケッチ

パスタ PASTA

リガトーニ・コン・パイヤータ
 Rigatoni con pajata


 ローマの庶民的な臓物料理のひとつ。仔牛の柔らかな腸をトマトで煮込み、リガトーニと合わせる。



スパゲッティ・ネーリ・コン・レ・セッピエ
 Spaghetti neri con le seppie


 イカ墨のパスタ。見た目に反してほんのりと甘味があり、あっさり味。イカの墨煮などと同様、ヴェネツィアでポピュラーな一品。



パスタの種類

リガトーニ  Rigatoni

管状になった大きめのパスタ。表面の溝と具がよくからみ、ミートソースなどに多用。



ペンネ Penne

ペン先に似た管状のパスタ。トマトソース、アッララビアータとの組み合わせが有名



タリアテッレ Tagliatelle

太めの平打ちパスタ。さらに幅広いパスタはパッパルデッレ


ラヴィオリ Ravioli

中に具を入れた小さなパスタ。中身はミートソースやリコッタチーズなど



BAR & CAFFE

バールとは? 【その1】

 コーヒーのおいしいバールは、午後13時〜14時のカウンターの混み具合を見れば一目瞭然。コーヒー好きのイタリア人は、ランチはレストランや軽食堂で摂っても、食後のエスプレッソは馴染みのバールに足を運ぶことをいとわない。バールのカウンターは友人との待ち合わせ場所だったり、常連やバリスタとのお喋りの場でもある。
 出勤前の朝食から、昼食後の一杯、夕食前のアペソティフまで、一日はバールと共に明け暮れる。初めての土地なら、まずは行きつけのバールを作ると町がグンと身近になってくる。

 
  たいていのバールは、ハムやチーズを挟んだイタリア風サンドパニーニを用意している。細長いパンが多いが、丸形や三角形も。食パンを使った日本風のサンドイッチはトラメツィーノという。ジャムやチョコ入りの甘いクロワッサン、コルネットは朝食の定番。



【その2】
 バールBarとは、店によっても異なるが、日本でいえば軽い食事を用意した喫茶店といった所。昼休みもなく一日中オープンしているので、旅行者にとってもありがたい存在。イタリア人のようにひと息つくのはもちろんのこと、カプチーノとクロワッサンで朝食を済ませたり、軽いランチ、さらにタバコやキャンディが欲しい時にも使える便利な場所。広場や駅前には必ずといっていいほどある。

【代表的なカフェ】

エスプレッソ Espresso

 イタリアでカフェといえばこれ。デミタスカップに苦みの強い濃厚な コーヒーが少量入ってくる。


カフェ・マッキャート Caffe Mcchiato

 マッキャートとはイタリア語でシミの意味。すなわち、エスプレッソ にほんの少量ミルクを入れたもの。



カプチーノ Cappuccino

 エスプレッソに蒸気で泡状にしたミルクをのせたもの。イタリアでは 朝食時によく飲まれている。




レストランの種類と利用方法

リストランテ  Ristorante

 一般的に高級レストランといわれているが、現在はあまり厳密に区別されてはおらず、それほど高級感のないリストランテもある。ただし高級な店へ行くなら予約をし、エレガントな装いで訪れるようにしたい。食にうるさいイタリアだけに、おいしいと評判の店は予約しなければ入店は難しい。

トラットリア Trattoria

 リストランテよりも家庭的な雰囲気のレストラン。なかにはリストランテ並の格式と価格設定の店もある。また、トラットリアがもう少しカジュアルになったレストランが、オステリアOsteria。もともとは地元の人がワインを楽しむような居酒屋のことを指したが、現在はほとんどの店で食事もできるし、厳密な区別はないといっていい。



ピッツェリア Pizzeria

 ピッツァ専門店のことを指す。一般的に夜のみ営業で、19時ごろオープンして、深夜まで営業している店が多い。最近ではピッツェリアの看板を出していても、パスタなどのメニューを充実させているところもある。



そのほか

 軽い食事や休憩にはバール Barへ。昼休みがなく一日中オープンしている。テラス席や奥のテーブル席に座って飲む場合と、カウンターで立ち飲みする場合とで料金が異なる。飲み物は各種コーヒーのほかフルーツジュース、レモン味とピーチ味のアイスティーなど豊富。ジェラードの専門店はジェラテリア Gelateria。もとはワインを専門に販売する酒蔵、酒店を指したエノテカ Enotecaにも、ワインを飲みながらつまみやワインに合う料理を出す店もある。調理済みのパスタや惣菜を、ケースを見ながら選べるタヴォラ・カルダ Tavola caldaロスティッチェリア Rosticceriaは気軽な食堂といったところ。



予約

 
カジュアルな店では必要ないが、リストランテトラットリアでの夕食は予約したほうがベター。電話で日程人数名前を伝える。ホテルのコンシェルジュに頼むこともできる。


ドレスコード

 
特に高級リストランテへ訪れるなら、服装もそれなりに気を遣いたい。男性はスーツ女性は上品なスーツやワンピースでいいだろう。価格設定の高いトラットリアなら、ジャケット程度は用意するように。それ以外は特に問題ない。


オーダー

 
まず食前酒を注文。それを飲みながらワインと料理を選ぶ。迷ったらウェイターにお勧め料理を尋ねてみよう。前菜からデザートまでセットになったコースメニューを用意する店もある。コーヒーとデザートは食後に注文する。


テーブルマナー

 さほど堅苦しいマナーはなく、高級リストランテでなければ、一つの料理を分け合っても構わない。高級レストランなどでは、ワインを注ぐのはサービス係が行う。係の人がいないところでは、男性が女性には注ぐが、同性同士は各自で。特に禁煙席でなくても、喫煙はデザート終了まで慎む。


支払い

 日本と異なりテーブルで支払う。担当ウェイターに「イル・コント・ペル・ファヴォーレ Il conto, per favore(お勘定をお願いします)」と告げ、明細を確かめServizio Incluso(サービス料込み)とあれば一人 1程度、なければ合計額の10%〜20%のチップをテーブルに置く。

メニュー構成

 メニューは、前菜、第一の皿、第二の皿、付合わせ、デザートで構成されるのが一般 的。第二の皿がいわゆるメインとなり、肉料理と魚料理からチョイスする。

アンティパスト(前菜)

 食前酒を飲んだ後に選ぶのがアンティパスト。いろいろ少量ずつ味わいたい場合、たいていのレストランで盛り合わせを用意しているので、これをオーダーするといい。一般的なのはサラミとハムの盛り合わせやトマトとモッツァレラチーズの盛り合わせなど。


プリモ・ピアット(第一の皿)

 
日本人に最も馴染み深いパスタ、リゾットをはじめ、スープなどが第一の皿にあたる。小食の人なら、セコンド・ピアットをとばして、デザート、コーヒーで終えてもいい。

セコンド・ピアット(第二の皿)

 メインディッシュ。メニューはカルネCarne(肉)とペッシェPesce(魚)に分かれている。イタリアでは冷凍食材を使用している場合、メニューに記載される。英語でフレッシュFresh、イタリア語でフレスコFrescoと書かれていれば、冷凍していない新鮮な食材だ。


コントルノ(付け合わせ)

 第二の皿の付け合わせとしてサラダなどを注文してもいい。ポテトのフライや茹でた豆、温野菜などがある。


ドルチェ(デザート)

 伝統の菓子やケーキのほか、オリジナルのドルチェを用意している店も。最後はコーヒーや食前酒で締めくくる。



フィレンツェ基礎知識

プロフィール
トスカーナ州の州都  
面積3880   
人口37万4151人(2001年10月調べ)


聖母マリアの純潔の象徴であったユリの花をデザインしたフィレンツェの紋章



 フィレンツェの歴史は、紀元前10世紀にエトルリア人が町を見下ろすフィエーゾレの丘に集落を作った頃に溯る。“花の女神”の意味で、この町をフロレンティアと命名したのはローマ人だ。彼らは紀元前1世紀のカエサルの時代にエトルリア人を滅ぼし、285年ディオクレティアヌス帝がフィレンツェを6番目の首都とすると、北イタリアの政治・経済の中心として栄えた。5世紀になると南下してきたゲルマン民族の侵略が始まり、476年のローマ滅亡後は東ゴート王国(493〜555年)ロンバルト王国(568〜774年)の支配下となる。その後ロンバルト王国を滅ぼし、西欧の大部分を統一したフランク王国のトスカーナ辺境伯領となり、962年に成立した神聖ローマ帝国の隆盛とともに発展。11世紀にはトスカーナ有数の都市となった。さらに、1077年のカノッサの屈辱につながる教皇と皇帝の争いに乗じて、教皇側に立った女伯マティルデは自治権を獲得。12世紀始めフィレンツェは自治都市コムーネとなると、13世紀には教皇派の市民層グェルフィが、皇帝派の貴族層ギベリーニとの紛争に勝利。毛織物業や綿織物権をゆるぎないものとした。こうして確立された自治とともに、自由な発想がフィレンツェの気風として定着。中世的な神中心のあり方に疑問を抱き、自我を主張する近代的な方に目覚めた人々が、14世紀にルネッサンスを開花させた。

ヴェネツィア基礎知識

プロフィール
ヴェネト州の州都  
面積約2460  
人口30万8717人(ヴェネツィア県全体)


聖マルコのシンボルである羽のある獅子像をモチーフにした市の紋章



 アドリア海の内海に浮かぶラグーナ(干潟)。5〜6世紀頃からゲルマン民族の脅威にさらされた本土のアドリア海沿岸の住人はラグーナへ避難を繰り返していたが、本格的に移住を始めたのはロンバルド族に脅かされた7世紀のこと。政治の拠点が置かれた現在のリド島南部のマラモッコと、商業の中心だったドルチェッロ島は、ヴェネツィアで最初に開けた場所だった。809年、カール大帝の子ピピンの侵入をはねつけた後、ラグーナの住民は団結して政治と宗教の中枢をリアルトに移す。続いて829年、ヴェネツィアの二人の商人がエジプトのアレキサンドリアから聖マルコの遺体を持ち帰り、町の守護聖人とする。この出来事は、ヴェネツィアの町作りの基本姿勢を明確に表していった。つまり、それまでの守護聖人だったギリシアの聖人、聖テオドーロと決別することで地理的に近いビザンツ帝国の支配を拒み、宗教的にも政治的にも自由と独立を目指したのだった。聖マルコのシンボルである翼の持つ獅子像は今も市の紋章であり、町の随所で見られる。