栄光への軌跡2003
志望大学へ現役合格を果 たした先輩たちへの
インタビュー
【一般入試】
0岩手大学 農学部へ
ここまでたどり着けたのは、
友人たちや先生方のおかげです。
担任の岡崎由起先生と
東京工業大学
第5類 1年

石塚 大樹
特別進学コース卒
登米中田中出身
進学システムが整っている
仙台育英で頑張ってみようと。


  3年前に進学する高校として仙台育英学園を選んだのは「大学進学には近道かな」と思えたからです。僕の兄は地元(登米郡)の公立高校から東京の大学に進学しましたが、受験のときには少し苦労したようでした。それよりは、進学のためのシステムがしっかりしているこの学校のほうが僕には合っているように思えたのです。

優秀な寮の仲間たちには
3年間、助けられました。


 3年間を過ごした学園寮「大志義塾」での毎日は、充実していたと同時に、とても楽しいものでした。「義務学習の時間」などの規則はあったのですが、同じ歳、同じ年代の仲間たちと暮らすというのは楽しいものです。時には庭で一緒にボールを追いかけたり、気分転換におしゃべりに興じたり…。  勉強面でも、すごく助かりました。クラスで成績が1番の級友が大志義塾の寮生だったもので。部屋の明かりがついているのを確かめて、わからないところを質問するために、よく真夜中に彼の部屋のドアを叩いたものです。頭の優秀な寮の仲間たちのおかげで、3年間、まったく塾や予備校に通 わずにすみました(笑)。

自分なりの作戦を立てて
受験にのぞみました。


 大学進学に向けての勉強については、「1、2年生のときに少しのんびりしてしまったかな」とも後悔しました。3年生になったときに、大学進学に向けてこれからやらなければならないことを書き出してみたのです。そうしたら、あまりに多すぎて。最初は途方に暮れてしまいました(笑)。  でも、手をこまねいてばかりはいられません。「化学と物理にウエイトを置いていこう」という自分なりの作戦を立てて受験にのぞむことにしました。数学や英語については1年生のときから毎日の授業をしっかりこなしてきました。だから、ラストスパートで理科にウエイトを置いて、点数を少しでも引き上げようと考えたのです。

立てた作戦は、模擬試験を利用
しての“ピンポイント攻撃”


 そのために僕自身が具体的にとったのは「模擬試験を受けまくる」という方法でした。3年の中頃からは月に3回は日曜日になると模擬試験の会場に通 ったものでした。  なぜ“模擬試験作戦”というやり方をしたかというと、たとえば、「さぁ、これから物理と化学をしっかりやろう」と参考書や問題集を買いこんできても、その本の厚さを見ただけでうんざりしてしまうものです。それよりは、模擬試験を受けて自分の弱点をチェックし、その弱点をその都度一つひとつ徹底的につぶしていくほうが効果 的と考えたのです。いわば“ピンポイント攻撃”の作戦ですね。  そういうわけで、模擬試験を受け続けて、理科で“穴のあいていた部分”を徹底的にうめていく作業をぎりぎりまで続けました。

でも最終的な合格の要因は
授業での“基本”の積み重ね


 この作戦が功を奏したのか、本命の東京工業大学に合格することができました。  とはいっても、もちろん、化学、物理の理科の“点数アップ作戦”だけが受験を成功に導いた要因だとは思っていません。受験勉強に限らず、高校の勉強は英・数が基本。点数アップ作戦が成功したのは、1、2年の日頃の授業で英・数の基本をしっかりたたき込まれていたからだと思っています。  そういう意味で、最初に述べた「この学校は大学進学に近道」というのは当たっていたと思います。今はただ、1、2年から3年のぎりぎりに至るまで僕の尻をひっぱたいて、良い方向へと導いてくださった先生方にひたすら感謝するのみです。
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【公募制推薦】
0岩手大学 農学部へ
Sクラブの活動で、
自分をアピールしました。
担任の岡崎由起先生と
岩手大学
農学部生命科学科1年

遠藤 可奈子
特別進学コース卒
大河原中出身
―志望校を決めたのは早かったようですね。
 中学のころから大学進学を意識していたので、地元(大河原)の高校ではなく、可能性の高い仙台育英に通 いたくて奨学生の試験を受けました。そして、高2のはじめに目標を岩手大学一本に絞りました。私、宮沢賢治が大好きなんです。彼の出身校である農学部で、後輩として勉強したいと思ったことが一つ。それと、小さいころから興味のあった、生命科学の分野の研究をやりたかったからです。

―普段の勉強はどんなふうに?
 親に負担をかけたくなかったので塾には行かず、通学の電車を利用して単語を覚えることと、学校の授業を中心に勉強しました。

―不安はなかったですか。
 補習もあったし、分からないことは先生に気軽に質問できる雰囲気があったので、問題なかったです。毎日7時まで学校に残って復習をし、疑問点はその時に解決するようにしました。生物には力を入れていたので、1時間ぐらいつきっきりで教えていただいたこともありました。

―推薦のために、何か特別な対策を立てましたか。
 面接に備え、生命科学や環境問題の本を読みました。でも、試験官の先生に聞かれたのは、私が会長をしていたSクラブの話が中心でした。

―実際にどんな活動を?
 ボランティアのクラブなんですが、私が入った時はあまり活気が感じられませんでした。どうせなら楽しくやりたいと思って、2年になってから会長に立候補し、友達の協力を得ていろいろな挑戦をしました。国体の開会式や障害者スポーツ大会のお手伝いもしましたし、育英祭のバザーでは、手作りの小物を作ったりしながら、かわいいお店をオープンしました。みんなに『Sクラブ頑張っているね』って言われるようになり、高校生活のいい思い出になりました。

―ということは、勉強との両立がうまくいった…。
 「これだけは絶対」と言えるような得意科目を持てたことが強みになったと思います。それは生物なんですが、やっていくうちに計算を必要とする分野も出てきて、結局は苦手な数学にも手をつけざるを得なくなってしまって…。好きな教科を集中してやったことで自信がつくと、ほかの教科にも徐々にいい影響が出てきました。

―こらからの夢は?

 絵を描くのが好きなので、大学で学ぶ環境の問題などを絵本に表現して、子どもたちに伝えることができたらいいなと思っています。
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【指定校推薦】
0早稲田大学 商学部へ
宮城県No.1の 私立進学校で、
頑張ってみよう…。
担任の大内久夫先生と

早稲田大学
商学部 1年
木幡 佑美
特別進学コース卒
富谷第二中出身

―特別 進学コースでのスタートは順調なすべり出しでしたか?
 いえ、実はその逆。最悪な精神状態でのスタートでした。

―それは、なぜ…。
 第一志望の公立高校に落ちてしまったのです。それで、第二志望の仙台育英・特進に…。公立に落ちたショックは学校が始まった4月になっても残っていました。

―では、勉強も身に入らなかった…。
 ショックで落ち込んでいたのは、ほんの少しの間。すぐに考え方を変えました。「公立に受かった人たちに負けないよう、この仙台育英・特進で3年間頑張ろう」と思うことにしたのです。というのは、仙台育英・特進は、宮城県でもNo.1の私立進学校。中学校のときに担任の先生からは「公立高校もいいけど、大学進学を高校での第一目標にするなら“特進”のほうがいいかもしれないぞ」とも言われていたので…。

―で、猛烈に勉強をスタートさせた…。

 自分の負けん気で立ち上がり、頑張るしかない。そう思って勉強を始めました。勉強の中身は、あくまで毎日の授業と、授業のための予習・復習が中心…というより、それがすべて。3年間、塾や予備校にはいっさい通 いませんでした。中学校時代の先生の言葉どおり、特進の先生を信じて徹底してついていくことにしたのです。

―その方法は正解でしたか?

 正解でした。3年間の勉強で学んだのは、「学ぶことにどれだけ謙虚になれるか」ですべては決まるということ。先生の教えを謙虚に信じて、地道にコツコツ毎日の勉強を積み重ねていく…。かっこいいやり方ではないかもしれませんが、「謙虚」に「地道」に「コツコツ」…結局、これにまさる方法はないように思えます。

―放課後も学校に残ったりしたのですか?
 私が入学した年から自宅方面(富谷)にもシャトルバスが来るようになったので利用したのですが、これも私の生活にすごくプラスにはたらきました。シャトルバスは毎日学校に到着する時間、放課後に学校から乗る時間が決まっています。その時間に合わせて区切りをつけ、毎日の生活のリズム、勉強のリズムをしっかりとキープすることができたのです。朝は学校に着いてからの1時間、放課後バスに乗り込むまで1時間ちょっとの時間は学校の図書室で勉強するようにしました。

―このリズムを持った3年間が、志望校への現役合格に結びついた…。
 今では3年前に公立校に落ちたことに感謝してるくらいです(笑)。
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【指定校推薦】
0立命館大学 政策科学部へ
先生に積極的に関わることを
徹底した3年間でした。
担任の遠藤和暢先生と
立命館大学
政策科学部政策科学科 1年
尾形 雅弘
特別進学コース卒
石巻中出身
 
―高校への進学先として仙台育英学園を選んだ理由は?
 地元(石巻)の公立校にしようか、それとも私立校にしようか迷っていた中3のときでした、仙台育英の一日体験入学に参加してみたのです。そのとき壇上に立たれた特進の先生が「本気で大学に進学する気持ちがあるなら、3年後には東京の有名私立進学校に負けない実力がつくよう指導します」とおっしゃったのです。この言葉で「よし、ここで3年間頑張ってみよう」と決意しました。

―入学後の3年間は日々勉強に明け暮れる毎日だったのですか?
 そうではありません。「“勉強プラスアルファ”の高校生活を送りたい」と考えて、生徒会に入りました。生徒会では一般 的な活動に加えて、硬式野球の甲子園大会に応援補助として何度か行きましたし、また、多賀城校舎の生徒1000人が出演したNHK BSの『千人の力』という番組づくりに実行委員長として参加し、最後には東京のスタジオで番組に出演したり…。仙台育英でなければできない体験もいくつかしました。

―大学進学をめざしての勉強のほうはどうだったのですか?
 入学早々先生に言われた言葉があります。「執務室の常連になれ」という一言です。この言葉も信じて実行するようにしました。
―具体的には…?
 授業が終わってもすぐに帰宅せず、なるべく図書室で勉強する時間をつくりました。それで、わからないところが出ると、先生方がいらっしゃる執務室に直行し、質問するようにしました。勉強していて分からないことが出たら、分からないままにしておかないで、その場で決着をつけるようにする。これを心がけるようにしました。それと、ノートをみていただくこと…。

―ノートをみてもらうとは?
 現代国語でしていただいた方法なのですが、先生は授業で作成したノートをみれば、その生徒の授業での理解度が一目で分かってしまうのですね。それで、理解の足りないところを指摘・補足してくださる。欠点や弱点というものは、他の人に指摘してもらって初めて気付くもの。ですから、最初はちょっと勇気がいりましたが、僕はあえてこの“ノートの添削”をお願いしました。おかげで現代国語の成績は伸びました。

―先生に質問攻めの3年間だった…。
 先生に積極的に関わっていく。これをテーマとして徹底的に実行した3年間でした。おかげで指定校推薦で志望校に合格。勉強面 でも、“プラスアルファ面”でも、とても充実した3年間だったと思っています。
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