2007/11/15
陳 述 書
細井 実
 
 今日は、このように意見を述べる機会を与えていただきありがとうございます。
 ここに立つにあたっては、多くの悩みやためらいがありました。でも失われた3人の命の重さと夢の大きさ、怪我をした友達や心に傷を負ったたくさんの仲間たちと家族の苦悩を考え、誰かが声を出して話さなければならないと思い、そして天国から、娘、Мが「パパ、がんばって。」と励ましていることを信じて、立っています。


 Мは、望まれて、望まれて生まれた娘でした。Мが生まれる3年前に姉が生まれたのですが、たったの一日しか生きることができませんでした。私たちは、それ以来ずっと、神様に、新しい赤ちゃんを授かるように祈り続けてきました。そして、授かったのがМです。この子は神からいただいたМであると信じて、名前をМとしました。大きくなって、姉がいたことを知るようになると、Мは、姉の死を悲しがる母親を「私が、お姉ちゃんの分も生きるから。」「私がお姉ちゃんの分もがんばるから。」と言って励ましていました。

 やっと生まれた子供でした。神様が私たちの願いを受け入れてくださり、いただいた命でした。泣き声が大きく響くのを聞き、丈夫に生まれたこと、そのことだけでうれしくてたまりませんでした。その喜びを妻はМによく話していました。Мにつらいことがあると、そのことを伝え、励ましていたのです。Мは、妻の言葉を素直に受け入れ、事件の数日前にも、妻がそのことを話すと「ママ、生んでくれてありがとう。」と言っていました。

 私たちがМに望んだものは、ただ生きていて欲しいということでした。元気に育ってくれれば、それ以上のことはなにも望みませんでした。それだけを祈って、それだけを信じて育ててきたのです。人並みであることさえ望みはしなかったのです。私たち夫婦はクリスチャンで、Мは生まれたときから教会で育ち、教会のたくさんの兄弟姉妹によって育てられ、教えられてきました。そのため、自然と誰とでも仲良くなれる性格が養われました。悲しみや苦しみを背負った方々と接し、お父さんがいなかったり母さんが病気だったりする子供たちと遊んできましたので、友人のことを思いやり、気遣うことのできるやさしさが育まれてきたのだと思います。

 Мは、正義感が強く友達を差別することや無視すること、いじめることなどを嫌がりました。誰にでも公平に、平等に接する子でした。「一人ぼっちだったり、仲間はずれにされそうだったりする友達がいると、我慢できなくて声をかけてしまうの。」と言っていました。亡くなってから訪ねてきた一人の男の子は、みんなとなじめなくてさびしい思いをしていたとき、Мに友達になろうと言われ、「М、Мのおかげで学校にいくことができるようになったんだ。不登校にならないですんだんだ。」と語り、棺のそばから離れようとしませんでした。

 また、Мはいつも明るく、生きることの喜びを全身で表していました。中学3年の合唱コンクールでは、やる気を見せないクラスメートたちを、「優勝目指して、がんばろう。」と最後まで励まし続けたと聞いています。ある男の子は、下駄箱のところで一人で練習するМの姿を見て、「自分もがんばらなければ。」と思ったと言っていました。コンクールの結果は最下位に終わり、Мは悔しくてみんなの前で大泣きをしたそうです。体いっぱいで感情を表す姿をみて感動したと友達は言っていました。この合唱コンクールのことを書いた作文でМは、「私たちのがんばった日々は消えることがない。一つのことに皆で向かう私たちは輝いていた。この輝き、この光を忘れないように、これからも光に当たりながら輝いていきたい。」と書いています。

 事件の日から1週間ほどたって、学校より頂いた教科書などの遺品の中に「自分のことをもっと知ろう」と言う進路を考える「適性・関心テスト」の用紙が入っていました。そこにはMの職業への関心を示す言葉が綴られていました。「人に役立つ仕事、仕事を通じて人に感謝される仕事につきたいと思ってた。」そして性格や興味などに関するテストの結果 、「社会や人のために奉仕するタイプ」と診断されると、「自分が仕事をすることで他人が笑顔になれる仕事につきたいと思っていたので意外ではなかった。」と書いていたのです。


 Мは私たちの家族の宝でした。明るくていつも一生懸命でした。どんなに苦しい辛い境遇にあっても、それを試練として受け止め、肯定的に捉え、陽気に積極的に立ち向かうことのできる性格を持っていました。そしてたくさんの人を幸せにしたい、自分の笑顔で幸せにしたと思って生きてきたのです。口ぐせは「がんばる。私がんばるから。」でした。もうその笑顔をみることはできません。「がんばるから。」という声を聞くこともできません。生きているだけでいい、元気なだけでいい、そう思ってだけ育ててきたのに、暖かい身体を抱きしめることはできません。

 中学の同級生がМの遺影の前によく集まってきます。楽しそうに語らう友達の輪のなかに、Мが居るように思えます。なぜ居ないのかと思うと、あまりにかわいそうで、胸が苦しくて息が詰まりそうになります。でもこの時間、友達がМの前でにぎやかにすごしてくれることが、友達に囲まれ、支えられて生きてきた、Мの人生の証です。辛くて、悲しくて、このままでは生きていくことが耐えられません。Мとは仕事以外はほとんど一緒にすごしていたので、この街のどこにいってもМの記憶がよみがえります。思い出がすぐに涙をさそい、そして、Мがいたら、ああもしただろこうもしたかっただろうという思いが膨れ上がり、Мが哀れで、切なくて、いたたまれなくなるのです。


 もし、命に重さがあるとするならば、それは、死によって奪われた夢の大きさによって量ることができるのかもしれません。事件を起こした加害者には、自分が奪った3人の命、15歳の命の重さ、夢の大きさについてじっくりと考えて欲しいと思います。君にも子供がいると聞いています、その子供の命が誰かに奪われたら、君は哀れさと悲しみに身を震わせるものと信じています。

 「悲しいときは共に泣き、不正な行為や不誠実な態度にははっきりと怒り、皆で一緒にがんばるのが大好きで、友達と一緒によく笑う。」中学3年生の担任がМの前夜式でこのように話してくれました。その言葉どおり、Мは、不誠実なことが嫌いで、見過ごすことができませんでした。君が飲酒していたことに、Мは、怒り、そして深く悲しんでいると思います。Мは、最も嫌う行為によって人生を奪われたのです。「お酒を飲むのやめて、運転するのやめて」と訴える悲しい声が聞こえます。Мは、そしてAさんS君も、怪我をした友達も、みんな青信号の横断歩道を安心して歩いていたのです。まさか君の車が飲酒による危険な運転で突っ込んで来るなんて想像することなんか出来ないで。もし、迫ってくる車に気づいても「大丈夫、きっと止まるから。」と青信号を信じて。信号は皆が守るものだと疑わずに。きっと友達と楽しそうに語らいながら道路を渡っていたのです。君は、そのたくさんの子供たちの信頼を裏切ったのです。青信号は、私たちの社会の安全の印、安全の約束です。Мは、安全の印、安全の約束への君の裏切りによって、殺されたのです。裏切りを信じられず「そんなことないよね。これってうそだよね。」と語る声が聞こえます。

 君は、自分の犯した罪の大きさを考え、本当に反省し後悔しているのでしょうか。自分を守ろうと少しでも考えていないでしょうか。М、Aさん、S君が失ったもの、君に奪われたものについて真剣に考えたことがあるのでしょうか。その失われたもの、君が奪ったものを少しでも償おうと考えたことがあるのでしょうか。

 君には、自ら進んで最も重い罪を望み、失われた命への償いの気持ちを表して欲しいと思います。本当はこの法廷で、全ての罪を認め、後悔に泣き叫び、天国の3人に、残された私たちに、心の底から許しを請うて欲しいのです。君がいくら許しを請うても、Мの命は戻らないし、奪われた夢はかないません。でもそれが最低限の、君の人間としての証です。もしそうでないなら、君はこの世界に生きている意味のない存在です。君の罪は永遠に消えることはありません。服役した後も、犯した罪を悔い、Мを偲び、Aさんを偲び、S君を偲び、3人への贖罪の人生を歩んで欲しいと思います。二度とこのような無残で取り返しのつかない事件が起きないように、加害者としての後悔、罪の重さを世の人に語り続け、その残された命を飲酒運転撲滅のために捧げて欲しいと思います。君には死ぬことよりも過酷な宿題かもしれません。でもそうすることが償いようの無い罪を犯した君の使命です。


 裁判官の皆様には、その力で、3人の失われた命と15歳の胸に抱かれていた夢を、加害者から取り戻して欲しいと思っています。それが無理なことは分かっています。でも、少なくとも命の重さと夢の大きさを償うことのできる罰を加害者、被告佐藤光に科して欲しいと思います。

 はねられた瞬間の恐怖、苦痛、路上で息絶えた哀れさ、だれにもさよならを言えず天国に逝かなければならないさびしさ、大人になれなかった悔しさ、無念さ、友達や家族と切り離された切なさ、そして、好きな人ともっと会いたかった、アメリカにもう一度行きたかった、大学で勉強したかった、赤ちゃんを生みたかった、そんなたくさんのMのやり残し。幸せな日々を奪われた家族の苦しみ、何時までも続く深い絶望感、喪失感、心と身体を蝕む虚脱感、重圧、不眠、吐き気。そして成人式に晴れ着を着せたかった、結婚式で涙を流したかった。早く孫を抱きたかった。そんなささやかな親の望み。さらに、Mが死に、加害者が生きていると言う現実の残酷さ。数えきれないこれらの全てを償い、贖うことのできる罰を加害者、被告佐藤光に科して欲しいと思います。酒を飲み、危険な運転を行い、RV車を凶器として、3人の命を奪い、たくさんの子供たちの心と身体に傷を負わせ、仙台育英学園高等学校にも多大の苦痛と損害を与えた全ての行動に罪を認め、法で与えることのできる最高の刑を科すように願っています。そして、深い反省と後悔を求め、弔いと贖罪の人生を歩むように命じて欲しいのです。

 よろしくお願いいたします。
 
 
BACK