宮城野萩だよりVol.18 | |||||
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本領発揮!! 逆転の仙台育英 | |||||
7月26日、第92回全国高校野球選手権宮城大会の決勝戦で、本校硬式野球部は気仙沼向洋を戦後最多得点差の26対1で破り、甲子園大会へと駒を進めました。8月7日からの本大会でも、開星高(島根)を逆転で、延岡学園(宮崎)を延長戦で破る快進撃を続けましたが、3回戦で春の選抜大会優勝校興南高(沖縄)に1対4で惜敗してしまいました。 しかし、出場した選手は全員が闘志あふれるプレーと最後まであきらめない粘り強いプレーで観客に感動を与えるとともに、全国に「仙台育英ここにあり」と強烈にアピールしました。 |
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甲子園大会を振り返って | |||||
硬式野球部監督 佐々木 順一朗 | |||||
野球は2アウトから、最後まで何があるかわからないから諦めてはいけない。よく言われる言葉ですが、この夏は正に現実となりました。奇跡を演じた中に、はずされても腐らず、あきらめず、努力で這い上がってきた選手がいたことが、指導者として非常に嬉しく思います。 3回も試合をさせて頂き、優勝した興南高校戦のチャンスでは、皆様方アルプスの応援のパワーが球場全体に広がり、スタンドの人達が一緒にタオル等を回して応援してくれた時は、鳥肌が立ちました。野球部創部80周年を飾るに相応しい瞬間だったのではないかと感じました。支えて頂いている関係者の皆々様に感謝です。ありがとうございました。 この夏の甲子園を見て何かを感じてくれたであろう後輩達が、皆様の期待に応えられるように、又更に応援して頂けるように、日々努力すると確信しています。これからもよろしくお願いいたします。 |
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甲子園で学んだこと | |||||
硬式野球部主将 井上 信志 | |||||
私たち仙台育英硬式野球部は、第92回全国高校野球選手権大会に出場しベスト16まで勝ち進むことができた。しかし私たちは全国制覇を目標としていたのですごく悔しいのが本音である。だがこの3試合で多くのことを学ぶことができた。 奇跡としか言いようがない勝ち方で二試合を勝ち進んだ。これは、私たちがしっかりやらなくてはいけないことを一つ一つこなしていった結果 ではないかと思う。試合までの日々で、無駄だと思うようなことでも一生懸命やること、最後まであきらめないで戦うということなど奇跡が起きた理由があると思う。 3回戦は、試合開始から相手に運が完全に行ってしまっていた。1、2回戦と3回戦の違いは簡単に運を呼べなかったことである。ただついていなかったと片付けるのではなく、運を呼べなかった理由を考え、今後の人生に活かしていきたい。 |
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全国中学校軟式野球大会に出場させていただいて | |||||
軟式野球部監督 須江 航 | |||||
理事長・校長先生である加藤雄彦先生をはじめ、父母教師会、同窓会、そして秀光のみならず高等学校の先生方や吹奏楽部、硬式野球部、サッカー部らの生徒からも熱い声援と多大なご協力をいただき、創部6年目にして中学生の甲子園である全中大会に初出場を果 たすことが出来ましたこと、深く御礼申し上げます。 振り返れば、経験者が二人で立ち上げた現6年生の野球部第一期生、練習試合も組めず、アウト一つを取るのも難しく彼らにとって野球が嫌いになってもおかしくない状況でした。初めての公式戦では、常識を逸した屈辱的な守備隊形(相手の外野手がいない)をとられ、生徒と一緒に泣きながら「努力して結果 を出すぞ」と誓った平成18年5月3日がはじめの一歩でした。 時を経て…平成22年夏。 彼らの意志を引き継いだ後輩たちが「秀光」という恵まれた環境の中で3年間努力を重ね、東北大会初出場初優勝という大きな土産を持って全中大会出場を果 たし、創部以来の最高成績である全国ベスト8まで見せてくれました。 6年前には遥か彼方だった山の頂上が、正しい時間の積み重ねと仙台育英学園に関わる人々の思いによって目の前に見えてきました。平成22年の夏は観測史上最高の暑い夏でしたが、子供達にとって平成23年の夏が自分史上最高の灼熱の夏になるよう、私自身さらに精進していくつもりです。 私にとって、最高の宝物でもある現6年生(一期生)と誓った思いを胸に…。 |
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夢の舞台での戦い | |||||
軟式野球部主将 小野 晴輝 | |||||
2010年8月夏。私達秀光野球部は初めて全国の舞台に立った。全国の頂点に立つことがチームの目標だった。 秀光の初戦は8月20日で相手は和歌山県代表のチームだった。とても強く全国のレベルを初めて感じた瞬間だった。しかし、秀光の野球が全国でも通 じると分かり嬉しかった。 8月21日、準々決勝。試合は初戦よりも厳しい試合で結果 0対1で敗北。目標にしていた「日本一」にはなれなかった。しかし、後悔はしていない。秀光野球部というまだ創設されたばかりの野球部に歴史をつくれた。また、今回負けたことで、様々なことを学び、色々な経験をし、次の代、その次の代の秀光が日本一になる材料を見つけることができた。 この全国で戦えたのも野球ができるのも全ては家族のおかげ、先生方のご指導のおかげなので、これからも感謝の気持ちを持ってプレーしたい。 |
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