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        平成26年3月外国語コース卒業           
        石巻中出身 
         
        ホームステイ先はどのようなところでしたか? 
         私がお世話になったのはアイダホ州の家庭。農業が中心の町で、辺り一面がポテト畑で、家がポツンポツンとあるようなところでした。最初は、何もない!と驚きましたが、町の人たちは皆気さくでいい人たちだったのでとても居心地よく感じました。 
         
        留学先での生活にはすぐに慣れましたか? 
         留学は2012年7月下旬から翌年6月までの長期。ホームステイをする前に2週間ほど、同じ留学会社を通じてアメリカに来た留学生が一緒に授業をするキャンプがありました。世界各国から、だいたい3000人近く来ていたと思います。その研修期間を経て、アイダホに移ってホストファミリーと3週間過ごしたあとに、地元の高校に通学、というステップがあったので、徐々に慣れることができたと思います。 
         
        学校の授業にはついていけましたか? 
         最初はほとんど英語がわからず、パニック状態でした。授業中も言葉が理解できないから質問もできない。アメリカの学校は教科書がなくてホワイトボードにも書かないから、先生が話すことをメモするだけ。でも、英語が聞き取れないからメモできないし、試験でも何を問われているかわからないので答えられない…。本当に大変でした。 
         
        それをどうやって克服できたのでしょうか? 
         授業ではプリントが渡されるのですが、その日に3ページぐらい解読し、わからないところとわかるところを分けて、空いてるところに要約。自分がわかるように細かく書く、ということをくり返しました。手を動かして自分の頭で解いた方が力がつきます。毎日必死で勉強していると、耳が慣れてくるのが3ヵ月後、口から出てくるのがさらに3ヵ月後。半年が過ぎると一気に楽しくなってきました。 
         
        挫折しそうになったことは? 
 提出物について、不正があったと先生に責められたときは本当につらかった。全くの誤解なのですが、英語でうまく説明ができないので誤解が解けず、そのときは本気で帰国しようと思いました。そして、実家の母親に国際電話をかけたら、あっさり「帰ってきていいよ」と言われて。その言葉を聞いた瞬間、不思議なことに「絶対に帰るものか!」と思いました(笑)。ここで負けたらすべて無駄になる、と。それを乗り越えるといろんなものが見えてきて、一気に目の前がひらけた感じになりました。         
           
          その先生の誤解は解けたのですか? 
 はい。そのあと、不正をしていない証拠をかき集めて、先生に提出しました。一生懸命説明したら、先生もわかってくれて…。今思えばこれも良い経験でした。 
 
留学中の学校生活で楽しかったことは? 
 学校でミュージカルに出演しました。「美女と野獣」です。町の人たちも見に来ました。学校のステージは、ワイヤーがあったりしてとても本格的で、とても新鮮な体験でした。部活もしていました。女子アメリカンフットボール部です。練習はハードでしたが日本にはない部活だったので楽しく活動できました。 
 
留学での一番の収穫は? 
 アメリカにはいろいろな文化背景、人種、宗教の人々が共存しています。そのいろいろな考え方と接していくうちに、意見が合わなかったり、誤解が生じてしまったりした時は、きちんとオープンに話していくことで、お互いの考えの共有点を見つけて理解しあえるようになりました。 
 またアメリカだけでなく、ヨーロッパや他のアジアからの留学生に常に接していたことで、いろいろな国の文化の違いを間近で感じられ、世界に対しての視野も広くなりました。 
 留学以前は苦手な人との衝突は避けていましたが、留学後はどんな人でも苦手だと感じなくなったので、交友関係が何倍も広くなりました!この視野の広さとコミュニケーション力は一生の宝物です。 
 
高校卒業後の進路は? 
 法政大学のキャリアデザイン学部に進学することになりました。大学では社会の問題解決に必要な、社会学、経済学、商学、法学など複数の分野を学び、もっと広く、多角的な視野を持った人を目指したいです。また、機会があればまた留学をして、新たな語学と文化に触れ、もっともっとグローバルな人材になりたいと思っています。 
         
        将来夢について聞かせてください。 
           将来は被災地復興をはじめとした、社会問題の解決を通し、日本そして世界の役に立ちたい。 史上最悪と言われた東日本大震災を、被災地のど真ん中で、それも思春期に経験したことは、辛い思い出ですが、ある種の財産だとも思っています。そしてこの震災から得た教訓を世界に、これからの未来を担う子供たちに伝えて行くことこそ、私が生き残った理由であり、使命だと感じていますので、そのような活動も将来的にしていきたいと考えています!
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