“負けっちゃくねえ”精神で
3年後には大学に現役合格します!
特別進学コース1年 戸村さん 岩沼中出身
この研修を通して考えたことは、3つあります。
1つ目は、利吉先生は私たちも含め、子どもたちに何を求めていたのだろうかということです。先生の教育に注いだ情熱はとても大きく、優秀な人材を多く輩出しました。先生は教え子たちにどのようなことを求め、どのような人間になってほしいと思われていたのでしょうか。私は研修後に、改めて生活信条を見て何となく分かったような気がします。生活信条には先生の思いや願いが込められていて、仙台育英の生徒として自覚を持つための様々な意味が含まれています。普段何気なく声に出していますが、改めて考えさせられました。これからも生活信条の意味を理解し、しっかり読もうと思います。7つの信条こそが先生が求めた生徒の理想像だったのでしょう。
2つ目に考えたことは、利吉先生の勉学心はすごいなぁということです。会津に生まれ、質素な家で生活しながらも学ぶことを諦めず、教育を行ったということに感心しました。そういう姿勢こそ、私たちが真似をしていかなければいけないものだと思います。もし私が先生と同じ立場だったとしたら、私は勉強を諦めていたかもしれません。「田舎者!」や「お前には無理だ!」と言われ相手にされないということは辛く苦しいからです。それでも諦めなかった先生は、やはり偉大な人だったんだなぁと思いました。
3つ目は仙台育英学園はすごい学校だということです。今までは、スポーツが盛んなことくらいしか知りませんでしたが、入学して高校生活を送っていくうちに段々と仙台育英がどのような学校なのかが分かってきました。そして、この研修で仙台育英の歴史を知りました。激動の時代のなかで学ぶことを決して諦めない人がいたこと、校舎が空襲によって焼けくずれたあと協力し合って再建した人々がいたこと、最初は小さな学校だったけれど、今では全国でも有数の名門校になっていることなど様々です。
私はこの研修を通してたくさんのことを考え、知りました。仙台育英で勉強が出来るということがどれほど幸せなのかを胸に刻み、これからも励んでいこうと思います。そして、3年後、「負けっちゃくねぇ!」の精神で大学に現役合格します!!
学園創立者の強い思いが込められた
『建学の精神』を大切にしていきたい
特別進学コース1年 菅原くん 塩釜二中出身
「北の国(ふるさと)へ」を見て、利吉先生の勉強に対する熱心さに心を動かされました。利吉先生は、子供のころから正義感が強く、勉強が大好きだったということが分かりました。また、成長するにつれて、子供達に勉強を教えるために一生懸命頑張っていたこともわかりました。利吉先生は、自分の人生を子供達のために捧げたすばらしい人だと思いました。
そして、12日に利吉先生の顕彰碑がある会津若松市に行きました。利吉先生の顕彰碑の前で合掌をした後、僕はこの学校の建学の精神である「至誠」「質実剛健」「自治進取」の目的について少し考えました。この建学の精神の3つは、利吉先生の勉強に対する強い思いだと思います。利吉先生の強い思いを大切にしていきたいと思います。
「北の国(ふるさと)へ」と会津研修でこの学校の歴史と利吉先生の人柄を学ぶことができました。学んだことを忘れずにこれからも学校生活を送っていきたいです。
自分のこれからの人生の
楽しみが増えました
特別進学コース1年 遠藤くん 住吉中出身
会津研修に行って考えさせられたことは「夢」についてです。加藤利吉先生は、夢を諦めずに教育者を目指していた立派な人なんだと顕彰碑を目の前にして感じました。
自分にはまだ夢がありません。でも、この会津研修で夢について少し分かってきました。加藤利吉先生の夢を諦めない気持ちや映画にもあった「負けっちゃくねぇ!」の言葉がとても心に残っていて、これからの自分の人生に対しての楽しみが増えました。
夢を持ってそれに努力していて諦めたくなったり投げ出したくなった時には、加藤利吉先生の「負けっちゃくねぇ!」の言葉を思い出して加藤利吉先生のように絶対に夢を諦めず、強い人間になりたいと思います。
利吉先生の正義と会津魂を
貫く姿勢に心打たれました
特別進学コース1年 三浦くん 広瀬中出身
大会議室で映画を見た時、利吉先生の生涯言いつづけた言葉に心を惹かれました。「負けたくない」。この言葉は僕も口にしたことがあります。受験の時や部活でバスケをやっていた時。でも、それは一時的なもので結局、勉強や練習から逃げて、さぼり、自分を甘やかしていました。そして根負けして後悔する感じでした。でも、利吉先生は、女性を外国人から助けてあげたのに警察に捕まり拷問された時も自らの正義を貫き通し、白状もしなかった先生が僕はとてもかっこいいなと思いました。牢屋に閉じこめられた時も「負けたくない」と言いつづけ、結果的に利吉先生は友達の外国人によって救われました。僕だったらどんなに自分の故郷を馬鹿にされても痛みから逃げるためにすぐ自らのプライドを捨て謝っていたと思います。利吉先生はすごい人だと思いました。また、仙台育英学園を空襲によってボロボロにされた時も「負けたくない。戦争になんか」と思い、再び学校を建て直すために、一生懸命に歯をくいしばって努力する姿に、僕はすごい人だと言うことしかありませんでした。
この映画を見てから数日後、会津へ。最初、僕はおみやげが買えない旅行なんかつまらないと思っていたのですが、利吉先生の顕彰碑を参拝するために飯盛山を登り、顕彰碑の前に来て、教頭先生のお話を聞き、合掌した時、何か視線を感じ、でもそれは温かい感じで、これは利吉先生かと思いました。まるで「君が新しい子か」と歓迎するかのようでした。僕はお盆にお墓まいりに行くのですが、こんなことは初めてだったので驚きました。
その後、日新館で昼ご飯を食べた後、日新館を見学している時に、戊辰戦争や日新館のことについて学びました。日新館内にある落城した鶴ヶ城の模型を見て、戦争の激しさを感じました。その城の周りにはたくさんの小銭が散らばっていました。僕はそれを見て、会津の人は戊辰戦争で会津のために死力を尽くし、戦った兵を敬い誇りに思っていることに気づき、会津の人の会津魂というものに感激しました。
僕は一日の会津研修で利吉先生の正義というものと会津の人が会津のことを誇りに思っていて且つ愛しているということを学びました。
僕も利吉先生のように自分の正義を貫き通し、会津の人のように仙台を誇りに思いたいと思います。
夢をあきらめない信念と根性、
利吉先生の「心」を学びました
特別進学コース1年 遠藤くん 蒲町中出身
まずは利吉先生の生きていた時代について考えた。だいたい1880年ごろから1960年ごろで、明治から昭和の戦争のまっただなかの時代だ。考えたことは、利吉先生の信念や根性について。
利吉先生は日露戦争で銃弾を受けて重傷。しかし、意識を取り戻せたことに驚いた。というより「重傷」ということ自体にも驚いた。戦場に送られ再び元の地(会津や仙台)に戻ってこれるのは極めてまれなことだと思う。当時は赤紙が届いたら自らの死を覚悟するだろう。戦場から生きて帰ることなどありえるはずがない。私は何が利吉先生の意識を取り戻すことができたか疑問を感じた。私はこう考えた。利吉先生の『心』にあると。夢や目標を持つことができ、その夢を絶対実現させてやるという、信念とか根性が自らの生命力となってくれるのであろう。会津は朝敵という汚名をきせられていた。もちろん、会津の人達は「そんなことはない」と思っている。そして白虎隊。戊辰戦争で最後に自刃するまで、ずっと抵抗した。その誇りも糧となったのだと思う。更に利吉先生は学校を創るという夢を持ち、一度も夢をあきらめることはなかった。
仙台育英中学校であった頃、戦災で学校は全焼。しかし、利吉先生はこの最大の挫折をも乗り越えた。これほどの信念、根性を持った人間なんていたのかと畏敬の念が心に湧いた。なぜ、これほどまで学校創設に人生を費やせたのだろうか。私は将来のことを、将来の人達のためを見据えていたのだと思う。戦争などという愚かなあやまちがあってはならない。これからはいかに外国と向き合い生きることができるのだろうかという考えを私は持った。
明治から昭和の戦時の中を自らの信念、根性、そして『心』を力に生き抜いた利吉先生。夢を持つということ、夢をあきらめないということ、将来への人達へ何を伝え、残していけばよいか、会津研修に出かけ、利吉先生の映画を観て、私はまた考えさせられた。
|