仙台育英学園高等学校平成23年度卒業式式辞【全文】
 

 本年、創立107周年を迎える仙台育英学園にとって昨年3月11日に発生した東日本大震災は卒業生をはじめ、ここに集う全てのみなさんにとって余りにも大きな出来事でありました。
 あの大混乱のなかにあって卒業生のみなさんは宮城野・多賀城校舎でそれぞれ冷静沈着に行動され、苦難に立ち向かわれました。
 そして度重なる余震により新学期の開始が大幅に遅れたにも拘わらず、ここまで学業を怠ることなく、各々の進路達成と自らの夢の実現のために努めて来られました。
 さらにそれぞれの居住する被災地にあっては「生活信条7か条」を実践し、震災弱者といわれるお年寄りや女性・幼い子供たちの支えとなり、厳しい環境のなかで一縷(いちる)の希望さえも失ってしまった人々に元気を与えてきました。本当に立派だったと思います。

 宮城野校舎では新校舎の地鎮祭を終え、来年3月には三棟(新栄光、新南冥、新北辰)が竣工する予定です。すでに基礎工事も終了し、凍てつくような寒さと例年以上の降雪に悩まされながらも工事関係者の熱意と努力によって順調に進んでいます。宮城野校舎および多賀城校舎の仮設校舎でこれまで頑張ってこられた卒業生には様々なご不自由をかけてしまいました。本当にご苦労さまでした。

 この3年間を振り返り、卒業生が成し遂げてきたことを思い出すとき、江戸時代中期の大名で昔は出羽国米沢藩とよばれたお隣の山形県で藩の財政を立て直し、殖産事業を成功させ、教育、文化面も振興した「上杉治憲(うえすぎ はるのり)」、家督を譲った後の出家の名前を「上杉鷹山(うえすぎ ようざん)」の言葉が心のなかに繰り返し出てきます。
 「為せばなる 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
 現代風に言葉を置き換えると 、
 「やろうと思えば何事もできます。出来ないのはやろうと思わないからです。やろうとすることは他人のためではなく、自分のためになるのです。」

 人は生きていく中で様々な壁や障害に立ちはだかれ、これを越えることの困難さを感じ、解決する気持ちから逃れたいと最初は誰でも思います。しかし、この壁を越えることがなければ何も得ることができないと気が付いたとき、人は知恵をしぼり、心の中に秘めた勇気を出して立ち向かいます。この行為こそが歴史を作ってきたのだと思います。
 今回の大震災は宮城野校舎復興事業へと結びつきましたが、甚大な被害を受けて直ちに現在進んでいる状況になった訳ではありませんでした。震災後、様々な困難と向き合い、悩み続けました。

 校舎解体が先行し、思い出が沢山詰まった校舎のなかで整理整頓していた昨年のゴールデンウィーク中、昭和21年(1946年)1月10日付けの「土地建物借用書」が見つかりました。それは学校法人仙台育英学園の前身となる「財団法人東北育英義会」理事長 加藤利吉先生と校長事務取扱の平塚勇先生連名の宮城県知事および関係者への請願書でした。
 「本校は先に戦災に遭い、建物および備品一切を焼失し、目下仙台市長町国民学校において僅かに授業を継続ありし候のところ、今般都市かく法により校地の使用不可能と相成り、その筋の通牒がありし候において左記のとおり土地建物使用いたしたくこの段を文書にて稟請候なり」
 昭和21年2月から26年1月までの5年間、旧日本帝国陸軍地跡を借りて、何とか学園復興を期したいと切々と訴える内容です。

 戦後の混乱期と異なり、現在の本学園には創立100周年記念事業として1985年から整備されてきた多賀城校舎があります。みなさんが居るこの多賀城校舎が仙台育英学園の命運を救ってくれたとお考えください。
 今ご紹介した請願書を何回となく読み返し、65年の時を越えてライオン先生こと利吉先生が、
 「為せばなる 為さねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
 と上杉鷹山公のお言葉を借りて、私たちに諭し、宮城野校舎復興か撤退かという重大な私たちの悩みを取り除き、「この学校をもう一度やり直そう。負けっちゃくない。」と前進するための勇気を与えてくれたと思っています。

 107年もの歴史がある学校ともなると、好むと好まざるとにも拘わらずその時代と向き合い、その時に起きてしまった事象に翻弄されながらも耐え忍び、厳しい評価にも怖気ず、立ち向かっていかなければなりません。
 みなさんは苦難を物ともせず、逆転を信じて突き進んでいく「仙台育英」の卒業生であることを誇りに思い、世のため人のためになる有意義な人生を送っていってもらいたいと期待しています。

 
 
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