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■各支部の活動状況 大崎支部からの報告 「加藤利吉・会津未来賞」の 実施と文集の発刊 |
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大きな喜びと感謝のなかで |
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「加藤利吉・会津未来賞」
事務局長 大内 正 本年度も「夢・ドリーム」作文集が発刊でき、会員皆様並びに仙台育英学園のご協力に心より感謝を申し上げます。この賞の趣旨は、日露戦争や火災等幾多の困難を克服し、現在の仙台育英学園の発展の基礎を築かれた創立者加藤利吉先生の偉業を讃え、その魂や志を現代に受け継いで行こうと企画したものです。 支部会員数135名。7月に代議員総会を開き、数回の役員会を経て、9月19日に出席者80名弱の「地区懇談会」が開催されました。内容は、代議員総会の報告、全国高校総体なぎなた競技個人の部で優勝した松田優子さんの表彰。校長先生自ら生徒(親)へ「加藤利吉・会津未来賞」の賞状授与。そして引き続き校長先生の格調高い講演会、最後に会員と先生方との自己紹介を交えた和やかな懇談会で幕を閉じたのでした。 仙台育英学園に栄光あれ! |
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「夢」作文 紹介 | |||
★金賞 「夢」 特別進学コース2年1組 鈴木 麻里子 私は夢について答えるのが苦手だった。中学に入ったとき、伯母に尋ねられたとき、これまでは、まだ具体的には決めていないと話してかわしてきた。いかにも自分は将来を模索しているかのように、だ。まだまだ自分は成長途中、時間をかけてじっくり考えたい。中学三年生の三者面 談、こんな風に先生に夢を決めないで言い訳をした。心の中はもっと違うことを考えていた。もし、夢を決めてしまったら、そこで自分の器の大きさも決まってしまう。夢の大きさだけの器ができる。器ができたら、その中の水の量 も決まる。私は夢が決まっていないから、途中で夢が変わることが怖かった。器ができてしまった私に、別 な能力という水を入れ替えることができるのか、器は足りるのか。まだ可能性を充分秘めた子どもでいたい…。 最近になって、私はやっと、ただ現実の自分から逃げているだけだと認めた。きっかけは、高校に入ったことだった。中学ではいい成績だった。私も一丁前に優等生だった。しかし、高校では歯が立たずボロボロのテストばかりが返される毎日に、私が持っていた大きすぎたプライドもすぐにペシャンコになった。私は周りが見え始めた。みんな夢に向かって一生懸命だった。成績が伸びない自分に欠けていたものは、「夢」だった。「コノヤロ、何がなんでも○○になってやる!」模試が悪かったらしい友人の一言だ。夢があるから、夜遅くまで頑張れる。目標があるから、あきらめない。あきらめきれない。友人たちはどんどん器を広げていき、可能性を伸ばし続けている。「夢」が彼らの器を広げていた。私は、受験という現実から逃げていた。この一言に自分の甘さを知った。私は逃げるのをやめた。 今でも偏差値の表を見るたびに、胃に石でも入ったように重くなって背中が曲がっていく。厳しい現実がある。「けれど」、と私は思う。私は前を見て歩こうと思う。やっと自分が向きあった私は、いまだに何になりたいのかがわからないでいるが、逃げていた頃とは明らかに違う自分がいる。夢を探して必死になっている自分が今、いとおしいと思える私がいる。 |
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