全国の仲間が届けてくれた熱い思い
部員の結束はどこにも負けない
ラクロス? 聞いたことはあるけど
どんなスポーツなの?
仙台育英ラクロス部の誕生は2010年の秋。創部87年を迎える硬式野球部などにくらべれば、まだまだ若い新しい部だ。
部が誕生して、活動がすぐに順調にスタートしたわけではない。本格的に練習が始まったのは翌年2011年の春から。活動の核となる女子3人が入部してきてからのことだ。3人は特別進学コース1年生の女子。その1人、佐藤佳蓮さん(松島中出身)は当時についてこんなふうに話す。
「体育の授業でバスケットをしていたら、コーチに“ラクロス、してみないか”と声をかけられました。“ラクロス? 名前は聞いたことがあるけど、どんなスポーツ?”という思いで挑戦してみたのですが、やってみて数分ではまってしまいました。未知のスポーツだっただけに、余計に好奇心をそそられたのかもしれません」
他の2人の入部のきっかけも同じ。女子3人。プレイヤー2人にマネージャー1人でのスタートだった。
まだまだマイナーなスポーツ
それゆえ選手たちの結束はとても強い
部員3人で、プレーヤーは2人。2人が揃えばコーチと3人で、1人欠ければ1対1で…。そんな練習の日々がしばらく続いた。変化が生じてきたのは佐藤さんたちが2年生になってからだ。入学したばかりの1年生を中心に、10名近くの新入部員が入ってきた。
しかし、試合形式で練習をするにはまだ人数が足りない。
高校のラクロス部は東北では仙台育英のみ。練習の仲間に入れてもらいたくても同年代では無理。そこで、さまざまな大学に声をかけ、県内ではラクロス部のある宮城学院女子大などの練習に加えてもらった。また、関東地方の東京や埼玉の高校ラクロス部の練習試合に参加させてもらいながら腕をみがいた。
練習相手にはつねに苦労した。しかし、「それゆえに宮城県内はもちろん、関東の大学や高校に“ラクロスをとおしての仲間”がたくさんできました」と佐藤さん。
「ラクロスというスポーツがあまり知られていないマイナーなスポーツで、プレイする人たちも少ない。だからこそ、このスポーツに魅せられた私たちの繋がりの輪はとても大きく強かったと思います」
馴染みのない未知のスポーツに
僕も一発ではまってしまいました
こうして、仙台育英ラクロス部の活動は、順調に進み始めた。部にひとつの大きな変化が現れたのは佐藤さんが卒業を間近にした2013年のこと。女子のみだったこの部に参加したいという男子が現れたのだ。佐藤さんと同じ特別進学コース、当時1年生の吉岡慎伍くん(南吉成中出身)。入部を希望するに至るきっかけは佐藤さんと同じだ。
体育の授業のときにコーチが「やってみたい男子がいたら、やってごらん」。このコーチの言葉に吉岡くんはチャレンジ。「なじみのない“未知の体験”だっただけに、一発ではまってしまいました」
吉岡くんは佐藤さんに相談し、とりあえずは“男子マネージャー”に。さらに、同じ特別進学コースの男子1人も引き入れて、“未公認男子部”をスタートさせた。
全国の“仲間たち”から得た援助の輪に
ラクロスを愛する思いの強さを実感しました
2年生になって、吉岡くんたちはまず、部員獲得の活動を開始した。
「多賀城校舎での春の部活紹介の場で、女子部員に混じって“男子部も本格スタートさせたいので、集まれ!”のアピールをしたのです。結果、25人の男子が集まってきました」
ただもうひとつ、大きな問題があった。部員こそ揃ったのに練習に必要な防具などがない。さて、どうしたらよいのか。
「思いついたのは周囲に援助を呼びかけてみること。“男子のラクロス部をつくりましたが、防具等の道具がまだ揃っていません。ご協力を!”と呼びかけてみたのです」
結果は期待した以上に。全国の大学や社会人のラクロスOB、OGが、使わなくなった防具などを送ってくれたのだ。あっと言う間に男子部員全員分が集まり、悩みは解決、日々の練習はスタートした。
「紆余曲折があっただけに、男子も女子も、仙台育英ラクロス部の部員1人ひとりの結束は他のどの部にも負けない自信があります」と、吉岡くんは話す。
佐藤佳蓮さんは、2017年春現在、東海大学理学部化学科の2年生で、同大学ラクロス部に所属。同大学ラクロス部は2016年の関東地区大会で準優勝をしている。佐藤さん自身は、昨年、関東ユースの選手に。
「もちろん目標は日本代表のメンバーになること。個人技術があって、存在感がある…そんな選手になることをめざします」
吉岡慎伍くんは昨年(2016年)春に仙台育英を卒業後日本を離れ、同年5月からアメリカのUMBC(University of Maryland, Baltimore County)に入学すべく現地の大学付属語学学校に通っている。UMBCのラクロスチームはアメリカ国内でも有数の強豪チーム。吉岡くんの目標はこの代表チームでプレイすること。
「代表チームのメンバーになれれば日本人選手初の快挙。監督にかけあって、すでにUMBC代表チームの練習生兼アシスタントとして練習にも参加させてもらっています。“とことん、行けるとこまで行ってみよう”というのがいまの気持ちです」
