これまで選手として学んできたことを
いま、母校で、コーチとして
生徒たちに伝えていきたい

キラリ★SWEAT & SMILE VOL.03 仙台育英学園高等学校 ラグビー部 ヘッドコーチ ニールソン武蓮傳

 

「外国に出てみようか」と考えた時、
同じオークランド出身のサイモン先生が

ニュージーランド・オークランドの地を離れて、仙台育英にやってきたのは15歳のとき。1993年。

「当時、父親が仕事の都合でニュージーランドを離れることになり、それがきっかけで僕自身にも“海外に出てみようか”という思いが浮かんできていたのです。そんなときでした。当時、仙台育英ラグビー部でコーチをしていた同じオークランド出身のサイモン・ミルズ先生から“日本に来て、仙台育英でラグビーをしてみないか”とのお誘いがあったのです」

ラグビーは11歳の時からやっていた。しかし、ニュージーランドはシーズンスポーツ制をとっていて、ラグビーは冬だけのスポーツ。すでに“ラグビーに夢中の少年”にとっては、ちょっと“欲求不満”なところがあった。

「よし、日本に行って、思い切りラグビーに賭けてみよう! そう思って、仙台育英への留学を決心しました」  春夏秋冬、ラグビー漬けの日々が始まった。

 

仙台育英ラグビー部で学んだことを基礎に
大学、社会人リーグ、クラブチーム選手として

日本に来た当時、仙台育英ラグビー部は“そこそこ”の強さだった。だが、丹野博太監督のもと、急速な“上り坂”に入った時でもあった。

「入部した1年生の時には、丹野監督にとって初めての県大会決勝戦に進出。2年生の時には“18年ぶり2回目の花園(全国大会)出場”を果たしました。今でこそ“21年連続23回出場”を誇る“東北の雄”ですが、当時から監督でいらっしゃる丹野博太先生にとっても初めての花園出場だったそうです。僕も出場しました。そして、3年生の時にはキャプテンも務めました」

仙台育英ラグビー部での3年間が評価された。大学進学にあたっては当時、ラグビー部強化に力を入れ始めていた流通経済大学が迎え入れてくれた。

「全国各地から優秀な選手たちが集められ、僕が1年生の時、流通経済大は2部リーグだったのが、途中1部に上がって。そんな時期に僕は4年間、スタメンとして出させてもらいました」

関東代表、U23日本代表にも選ばれた。

 

ラグビー中心に生きてきた僕自身の
セカンド・キャリアとしての新しい生き方は…

大学での成果は、社会に出るにあたってもプラスになった。

「大学卒業と同時にNECグリーンロケッツに入団、チームの日本選手権初優勝にも貢献できました。NECで4シーズンプレーしたのちにコカ・コーラウエストジャパンで6年間。2010年には釜石シーウェイブスに移籍して4シーズンプレーしました。振り返ってみると、高校から大学、そして社会に出て20年近く、選手として、さまざまな運にも恵まれていたのでしょうが、順調にやってこれたような気がします」

けれど、30歳台の中頃に入って、それまでになかった思いが芽生えてきた。「僕自身の人生において、そろそろセカンド・キャリアを考える時期に来ているのではないか」との思いが…。

「選手時代に家庭を持ちました。2006年には日本国籍を取得して、ブレンデン ニールソンから『ニールソン 武蓮傳』へを改名しました。日本で“日本人”として生きていくことを決意したのです。子供(現在、女の子が2人)も生まれました。そんななかで、“セカンド・キャリア”という言葉が浮かんできたのです」

しばらくの期間、考え抜いた。結果、自身の「次の人生は」への問いの答えとして浮かんだのが、“日本でのラグビー選手としての原点”である仙台育英ラグビー部に戻ってみようかとの思いだった。

 

丹野監督から学び、社会に出て学んできたことを
これからは母校の選手たちに伝えていきたい

「僕のラガーマンとしてのキャリアは、間違いなく仙台育英ラグビー練習場からスタートしているのです。僕が高校生だった頃は松島に練習場がありましたが、その練習場で(ニュージーランドですでにラグビーを始めていたとはいえ)僕は丹野先生に徹底的に鍛えられました。そこで学んだものを、大学で、そして社会人選手としてさらに磨き上げて、僕は社会人ラガーマンとしてのキャリアを築き上げました。そして、社会人チームの選手としてのキャリアを積む中で、ラグビーを続けていくための、人生を生き抜いていくための、たくさんの大切なものを学びました」

これら、これまでの選手人生の中で得たものを持って、再び、丹野先生のところに戻ろう。そして、丹野先生とともに今度は“指導する側”に立って、僕自身のセカンド・キャリアを築いていこう。そう決心し、2015年、仙台育英ラグビー部のコーチに着任した。

 

「もっと強く」を目指す選手たちに日々関わることは
とても楽しく、やりがいのあることです

コーチとして仙台育英にやって来て2年が過ぎた。生徒たちを指導するのは想像していた以上に楽しいし、やりがいを感じる。

「ラグビー部に入ってくる生徒は、ラグビーは初めてだったり、中学校の頃からすでにクラブチームなどで始めていたり。また、入部そうそうメキメキと上達してくる子がいれば、なかなか芽を出せずにウロウロしている子も…。さまざまです。 そんな子たちを見ていると、それぞれの中に“かつての僕自身”を発見します」

そんな部員たちに、必死になって、“この子の力をさらに伸ばすにはどんな言葉をかけてやればよいか、行き詰まっているところから脱出させるにはどんなきっかけを作ってやればよいか”を考えながら日々指導する。

「いずれにしても“もっともっとラグビーがうまくなりたい”と目を輝かせながら練習に励んでいる彼らの将来に向けて関わっていけるというのはとても楽しく、やりがいのあることです」

そして、自身のキャリアにおいても、もう一つのテーマを設けて努力している。それは、「教師」としてのもう一つのキャリア。いま、教員免許を取って地理歴史を教えられるようになるため、週に何度か仙台市内の大学に通っている。

 

1つのポジションを巡ってチーム内で競い合う、
それが全体のレベルを押し上げ、チームを強くする

コーチとしての現在の指導のテーマは、当然ながら、より強いチームをつくること。ただ、この“強いチームづくり”にあたっては、いま、ひとつ悩んでいることがある。

「仙台育英ラグビー部の部員数は、春に30人を少し超えた数になりましたが、これではまだ足りません。あと最低10人は…。40人から45人くらいの部員数が理想と僕は考えています」

なぜ人数が必要か。チームが強くなっていくためには、選手同士での“闘い”がとても大事。そのためにはある程度以上の人数(部員数)が必要だからだ。

「ふだんの練習の中で、あるいは大きな試合を控えての練習の中で、複数の選手が1つのポジションを巡って常に争い、競いあう。そんな日頃の部員同士でのせめぎ合い、あるいは切磋琢磨(せっさたくま)がチーム全体のレベルを押し上げ、結果的に強いチームが作られていくことになるのです。ですから、高校で運動部に所属してみたいと考えている中学生のみなさんに、“ぜひ、仙台育英ラグビー部に!”と呼びかけたい。ここには、高校生活の3年間を賭けて打ち込んでみる価値がある、と僕は断言します」

多賀城校舎のラグビー練習場で、武蓮傳コーチの声が響く。その声は大きく、鋭く、しかしその奥には、多彩な経験を積んで様々な困難を乗り越えてきたゆえの優しさがこもっている。