ラグビー中心に生きてきた僕自身の
セカンド・キャリアとしての新しい生き方は…

大学での成果は、社会に出るにあたってもプラスになった。

「大学卒業と同時にNECグリーンロケッツに入団、チームの日本選手権初優勝にも貢献できました。NECで4シーズンプレーしたのちにコカ・コーラウエストジャパンで6年間。2010年には釜石シーウェイブスに移籍して4シーズンプレーしました。振り返ってみると、高校から大学、そして社会に出て20年近く、選手として、さまざまな運にも恵まれていたのでしょうが、順調にやってこれたような気がします」

けれど、30歳台の中頃に入って、それまでになかった思いが芽生えてきた。「僕自身の人生において、そろそろセカンド・キャリアを考える時期に来ているのではないか」との思いが…。

「選手時代に家庭を持ちました。2006年には日本国籍を取得して、ブレンデン ニールソンから『ニールソン 武蓮傳』へを改名しました。日本で“日本人”として生きていくことを決意したのです。子供(現在、女の子が2人)も生まれました。そんななかで、“セカンド・キャリア”という言葉が浮かんできたのです」

しばらくの期間、考え抜いた。結果、自身の「次の人生は」への問いの答えとして浮かんだのが、“日本でのラグビー選手としての原点”である仙台育英ラグビー部に戻ってみようかとの思いだった。