自分の“軸”をしっかり持ち
やりたいことを
中途半端でなく、
やり遂げていってほしい

キラリ★SWEAT & SMILE VOL.04 仙台育英学園高等学校 卒業生 慶應義塾大学 環境情報学部環境情報学科3年 黒田潤一郎さん

 

仙台育英学園高等学校特別進学コースで学んだ3年間、剣道部で稽古に励み、現在、慶應義塾大学体育会剣道部に所属する黒田潤一郎さんは、昨年(2017年)、アフリカ南東部にあるマラウイ共和国に2度にわたり単身で渡航し、現地で剣道の指導を行なった。

アフリカの地で25年剣道を続けている
ソンバさんという人を訪ねてみよう…

黒田さんがマラウイ共和国の存在を知ったのは2016年、大学2年生のときだった。

「海外で剣道を指導をしてみたいと思っていたのです。そのとき、偶然“剣道がマラウイ共和国で25年間続けられていたことでマラウイ剣道協会が日本の外務大臣賞を受賞した”という記事をみつけたのです。“これだ!”と思いました」

黒田さんはマラウイ共和国に行ってみようと決意。ただ、当時の黒田さんにとって、同国は全くの“未知の国”だった。

「マラウイ共和国での剣道について書かれた記事には、25年間剣道を続けて、現在同国の剣道協会会長であるオースティン・ソンバ氏のことが書かれていたのです。この人に会ってみよう。会って話してみれば、僕自身の“海外で剣道を広めたい”という夢を実現できるきっかけがつかめるのではと思ったのです」

黒田さんは行動を開始。全日本剣道連盟の国際担当の方に連絡を取ってみた。結果、期待していた以上の答えがかえってきた。ソンバさんは全日本剣道連盟と面識のある人だったのだ。黒田さんは結果的に個人のつてを辿ってマラウイ渡航を実現させたのだが、現地の方々からすると「全日本剣道連盟からの派遣」という認識をされるのはこのためである。2017年1月。マラウイ共和国は日本から飛行機を乗り継いで早くても30時間、ルートによっては50時間もかかる“遠い国”だった。

 

道具もないし、指導者もほぼ1人だけ、だけどやれることをやってみよう

マラウイで剣道は25年続いてきたとのことだったが、訪ねてみての現状は黒田さんが想像していたのとは違っていた。

剣道が行われているといっても、その範囲はひとつの都市の中だけ。国から正式なスポーツとして認められているというようなものではなかった。道具もないし、指導者もソンバさん、ほぼ1人。ほんの一部の“知っている人たちがやっている”というのが現状だった。

だが、黒田さんはめげることなく、2カ月の滞在期間中に現地での練習メニューと指導方法を確立すべく奮闘した。

「日本では“いち大学生”の私ですが、マラウイの人たちから見れば“全日本剣道連盟から派遣されている人”として見られてしまってました。現実とのギャップがあると感じました。ですが、逆にこうも思ったのです。“ギャップを乗り越えようと努力することこそ、僕自身を成長させてくれることになるのでは”と…」

これが黒田さんを現地での活動に真剣に取り組ませたなによりの原動力だった。

 

アフリカとの出逢いは、大学進学後、コンゴの大学での剣道指導から

ここで少し、時間を巻き戻してみよう。黒田さんが剣道指導のボランティアとしてマラウイ共和国にたどり着くまでにはひとつの“経緯”がある。

剣道を始めたのは小学校1年生の時。小・中学校と続け、中学校のときに「妹の中学校の剣道の先生が仙台育英剣道部の部長・監督である青木康博先生と知り合いだった」ことから出身の山形県米沢市を離れて仙台育英の特別進学コースに入学し、剣道部に所属した。

「たてまえは“文武両道を実践する”でしたが、現実はどうしても好きな剣道のほうに傾いてしまいました。現役での慶應合格を目指していたのですが、その夢はかないませんでした」

結局、2年間の“浪人生暮らし”の末に慶應義塾大学環境情報学部に合格、進学した。

慶應義塾大への入学後は剣道部での稽古を再開したが、ここで黒田さんの剣道への向き合い方が大きく変わる出来事があった。

「1年生の時に受けた語学の先生がアフリカで私立小学校の運営もされていたのです。講義のあとで質問をしていたところ『私のゼミを見にいらっしゃいませんか』とお誘いを受けて興味を持ちました。そして先生が客員教授をされているコンゴの大学で剣道部をつくり、指導をやってみることになったのです」

 

0から1を創ることの難しさを実感、でもそれを25年間続けてきた人がいる

ところが行ってみてわかったのだが、コンゴでは剣道がまったく知られていない、いわゆるゼロの状態だった。

「防具を向こうに送ろうとしても、コンゴの税関で『これは骨董品じゃないのか』と言われ、回収されてしまいました。コンゴの人たちは防具を見たことがなくて、指導者も自分1人しかいない。興味を持ってもらうにはどうしたらいいのか…悩んでしまいました」

およそ1カ月の滞在だったが、現地の人に剣道を少し体験してもらう、というところで終わってしまったという。0を1にする。そのことがどんなに難しいかを痛感して、日本に帰国してからも悩んだ。それに追い打ちをかけるように、コンゴは治安悪化で日本人渡航禁止となる。

「そんなときでした、マラウイ共和国で25年間、剣道の指導を続けてきたマラウイ剣道協会会長のソンバさんのことを知ったのは。ソンバさんの存在は、僕にとって“アフリカで剣道を0から1にする”を最初にやってきた人。その人のもとで活動してみることで、海外で剣道をひろめていくためのヒントを得られるのではないか。そう思えたのです」

このような経緯の末に黒田さんはマラウイ共和国行きへとたどり着いた。

 

努力のかいあり、剣道がマラウイ共和国のナショナルスポーツとして認められることに

2017年1月の第1回目に続いて7月、黒田さんは再びマラウイを訪ねた。このとき、マラウイの剣道にとって大きな出来事があった。ソンバさんや黒田さんが同国スポーツ省を訪ね、剣道が同国の正式なナショナルスポーツとして認められることを要請し、そして認められたのだ。

「マラウイの剣道はソンバさんがいる1都市でしか行われていなかったので難航したのですが、それを逆手にとって『三カ年計画』を提出。それによりOKの回答が得られたのです」

計画の内容は、剣道を首都のリロングウェと北部にまで広げていく、段が取得できる南アフリカ共和国まで段を取りに行って有段者を増やしていく…。そのような内容の計画を立て、提出したことが功を奏したのだ。

「これで国からのサポートを受けられるようになりました。なぜナショナルスポーツに認められることが大事かというと、国からオフィシャルなスポーツとして認められないと国際剣道連盟に入れない。連盟に入れて初めて国際大会に出場できるのです。これでマラウイの剣道が世界に出ていく道がひらかれました」

ぜひともこの課題に挑戦し、実現していきたいと黒田さんは語る。

 

きっかけは青年海外協力隊で派遣された1人の日本人の昼休みの素振りから

ここで再び時間を過去にさかのぼってみよう。遠いアフリカ大陸のマラウイという国で剣道が始められたそもそものいきさつだ。

マラウイの剣道の始まりは、青年海外協力隊でアフリカの病院に派遣された1人の日本人が毎日素振りをしていたことから。そこに子供達が“なにやってるの”と集まってきた。そこで剣道を教えてもらった子供たちの1人がソンバさんで、いまもずっと続けている大人の剣士たちがその時の子供達とのこと。

「1人の方がやっていたことがいまでも続いている。絆からできた剣道が今でも現地に残っているのは本当に素晴らしいことだと思います」

昨年スタートした黒田さんの指導は公用語の英語と現地語を使いながら行われている。メンバーの年齢層は、若いメンバーは4歳から20歳前半までさまざまだ。基本的に練習は毎週土曜日だが、黒田さんのような指導者がきたときは毎日練習する。

「出席簿のようなものはつけたりせず、お金も取らないけれども、自由のなかにも、本当にやりたい人がやるという強い意志がある。そこに感動しました」

全日本剣道連盟から日本国内の中古防具を剣道の途上国に送る仕組みがあるので、そこに申請して、送っていただいた防具を使う。竹刀も日本の派遣者などがきたときに、何本か持って行って寄贈する。

「みんなでシェアしながら大事に使ってやっています」

 

教えれば教えるほど、一緒に成長していると手応えを感じることができる

実際に指導をしてみて、「学生である自分では大したことは教えられていないかもしれないが、教えれば教えるほど一緒に成長していると手応えを感じる」と黒田さんは話す。

「慶應の道場で学んだことや師範の先生から学んだことを吸収して、アフリカで還元したいと思っています」

最後に黒田さんから、仙台育英の後輩へのメッセージを紹介しよう。黒田さんは「後輩たちにはぜひ、“自分の軸”をもって、その軸を貫き通してほしい」と話す。

「高校生という立場や環境は、両親や先生方にいろいろな意見を言われることも多いでしょうけど、自分の軸を持って決断をしていってほしいと思います。私が高校生のときも“特進の勉強と部活の両立は難しいから剣道はやめたほうがいい”という意見もありました。正直、私自身も勉強よりも部活動優先になっていることに後ろめたさを感じたこともありました。ですが、剣道をやめる気は全くありませんでした」

中途半端ではなく自分の本当にやりたいことをやり抜いていってほしい。その先に未来は拓ける。黒田さんはそうアドバイスする。

慶應義塾大学 環境情報学部環境情報学科3年
/体育会剣道部
黒田 潤一郎さん
仙台育英学園高等学校 特別進学コース 2013年卒業(米沢第一中出身)。
黒田さんの剣道部としての活躍は、高校3年生時に団体で出場した宮城県大会で準優勝・東北大会ベスト8に進出した。慶應義塾大学の剣道部では、大学2年生時に関東学生剣道新人戦大会でベスト16に。早慶戦(早慶対抗剣道試合)では3年連続レギュラーで出場しており、慶應大学は四年ぶりに勝利を収めた。