Never give up! の精神で
“逆転の仙台育英”を忘れずに
進み続けてほしい

キラリ★SWEAT & SMILE VOL.12 東京2020オリンピック陸上男子マラソン出場(2021年8月8日)トヨタ自動車 陸上長距離部 服部勇馬さん 2011年3月 英進進学コース・陸上競技部 卒業 新潟県中魚沼郡中里村(現・十日町市)出身

 

走ることの基礎を徹底的に学んだ
仙台育英での3年間でした

中学校までを過ごした新潟県十日町市で「走ること」に目覚め、高校は仙台育英学園高等学校へ。陸上競技部で全国高校駅伝に1、2、3年生での連続出場。加えて、10000mで高校2年生歴代2位(当時)、3年生でのインターハイ5000m5位(日本人2位)などの成績を残し、関東インカレや箱根駅伝出場常連校・東洋大学へと進学した。

大学でも4年間を通して箱根駅伝に出場し、私たち仙台育英生には“誇るべき先輩”として夢と勇気を与え続けながら、大学3年時からは42.195kmのマラソンに挑戦。

4年時の2016年、リオ・オリンピック出場を賭けての東京マラソンでは惜しくも出場への切符を逃したが、卒業後に就職したトヨタ自動車で陸上長距離部に所属し、オリンピック出場への夢実現に向けて再挑戦。2018年の福岡国際マラソンで日本人として14年ぶりの優勝を飾り、MGC2位を経て、東京大会への出場が決定。そして2021年8月、ついに東京2020オリンピックの最終日、札幌大通公園のスタートラインに立った。

「抱いた夢、目標がかなわず落ち込んだことは何度もありました」と話す服部先輩。中学生の頃に“走ること”に目覚めて以来10数年間の努力の日々の中で、「仙台育英陸上競技部での3年間は、箱根駅伝や国際マラソン大会、MGCを経てオリンピック大会出場への目標を達成するに至る基礎を徹底的に学んだ貴重な3年間でした」と仙台育英陸上競技部時代を思い出す。

服部先輩の“仙台育英時代の記憶”を中心に語ってもらった。

*MGC:マラソン・グランド・チャンピオンシップ

「仙台育英はどうだい、
人生が変わるかもしれないよ」

走ることの楽しさに目覚めたのは、仙台育英に進む前、中学生の時でした。生まれは新潟県。小学生のころは“サッカー少年”でした。でも、進学した中学校(中里中)にはサッカー部がなかったのです。

“どんなスポーツに挑戦していこう”と思いあぐねた末に浮かんだのが陸上部でした。当時から、持久走やマラソンも好きで得意でした。それで“走ること”に挑戦してみることにしたのです。

陸上部に入部し、練習を始めて、それまで気付かなかったことに気付きました。“走ること”そのものの魅力です。

走ることは、個人競技。個人の頑張りがそのまま結果に反映されてきます。つまり、競技のすべては自分の頑張り次第で決まる。その感覚がとても新鮮でした。このことに気づいて、練習すること、“走ること”に、夢中になっていきました。

高校は新潟から宮城へ。仙台育英を選びました。当初は新潟県内の高校へと考えていました。でも、そんなとき、父が「仙台育英はどうだい。人生が変わるかもしれないよ」の一言を投げかけてくれたのです。正解でした。まさにその一言から、人生が大きく変わり始めました。

 

多賀城、宮城野間を自転車で往復し、
走ることに没頭しました

仙台育英陸上競技部では1年生から京都での全国高校駅伝に出場しました。インターハイなどでも成績を残すことができましたが、仙台育英生、仙台育英陸上競技部員としての3年間は、とにかく“基礎を徹底して身につけるために地味で地道な努力”を続けた3年間でした。

所属は英進進学コースで、多賀城校舎。毎日は、多賀城校舎での陸上競技部での朝練からスタートしました。

午前6時から多賀城校舎グラウンドで60分ほど走り、それから着替えて授業に。そして授業が終わると、即、自転車に飛び乗って多賀城から宮城野校舎へ。宮城野原の運動場で太陽が沈むまで走り、練習が終わるとまた自転車を漕いで多賀城へ。寮に帰り、夕飯を食べて…。3年間、この繰り返しでした。

多賀城・宮城野校舎間、片道40分ほどの自転車は、足腰を鍛えるのにも役立ちました。

走る練習ばかりで勉強のほうはおろそかにならなかったかというと、そんなことはありません。毎日の授業をしっかり聞くように心がけていました。コースの中でいつも「半分から上」以上の成績をキープするようと心に決め、実際そうでした。  それができたのはクラスメートのおかげです。仲の良い2人の級友がいつも勉強面でも助けてくれました。英進進学コースでそんなクラスメートたちに巡り会えたのはとてもラッキーでした。

 

孤独が人を成長させる...
3年間の寮生活で実感しました

陸上競技部にはケニアからの留学生がいました。練習を共にするようになって最初に思ったのは、“留学生、強いな”という印象でした。

英進進学コースで学ぶ中にも、クラスに海外からの留学生がいました。ふだんの学校生活の中で、当たり前のように外国人のクラスメートや外国人留学生の部活仲間と接する機会がありました。

大学生、社会人になって外国の選手と走る機会は数多くあるのですが、一緒に走っても外国人だからといって物怖じするようなことは最初からありませんでした。積極的に仲良くなろうという気持ちが生まれてきます。これは高校生時代の経験で培われたものだと思いますが、競技でのメンタル面でも、間違いなく良い方向に作用していると思います。

それともうひとつ、故郷の新潟を離れての3年間の寮生活も、振り返ってみれば大きな意味を持っていたと思います。

寮生活を始めて最初の1年間は、“帰りたい”と思うことがしょっちゅう。ホームシックの日々でした。ですが、そんな“さびしい、帰りたい”という思いが続く中で、別の思いが芽生えてきました。「人として成長していくには、“寂しさの中でひとりで生きていくんだ”と自覚し覚悟することも必要なのではないか」と考えるようになったのです。

帰りたいという思いを持ちながらも我慢して、努力を続けていく。寂しさや不安に耐えて努力していけば、結果はやがて出てくる。それは成長していくことにつながっていく…。

“長距離走者”として成長していくうえで、仙台育英での3年間の寮生活の体験は、その後の頑張りの大きな原動力になったとも今は思えます。

 

Never give up! の精神で、
諦めることなく、夢を!

後輩のみなさんに望むのは“夢を持ち続けてほしい”ということ。自分自身の夢をしっかり持って、その夢に向かって努力していってほしいということです。それで、もしその夢がかなわなくても、また次の目標をみつけて、どんどんチャレンジしていってほしい。

僕自身も目標を達成できなかったことがあります。事実、半分くらいはだめでした。でも、また新たな目標に向けて頑張ったし、結果も出せた。

みなさんには、“逆転の仙台育英”の言葉があります。だから、大切なのは、“Never give up !”の精神。これを忘れずに“逆転の仙台育英”の気持ちで、力の限り努力していってください。期待しています。

服部勇馬選手 Yuma Hattori
1993年生まれの新潟県出身。中里中学校(新潟県十日町市立)から仙台育英学園高等学校に進学。在学中は、2年生次に1万メートルで高校2年生の歴代2位(当時)《28分58 秒08》の記録を残した。また全国高校駅伝競走大会には3年連続で出場し、2・3年生次に1区を走った。卒業後は東洋大学に進み、箱根駅伝の2区で2年連続で区間賞を獲得した。現在、実業団のトヨタ自動車に所属。2018年に福岡国際マラソンで当時日本歴代8位《2時間07分27秒》で14年ぶりの日本人優勝を果たした。そして2019年に行われた2020年東京オリンピック選考会となるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で2位となり、東京オリンピックの代表に内定。2021年、東京2020オリンピック代表として出場した。