生徒たちが掲げた
夢や目標に寄り添うのが
監督としての私の役目です

キラリ★SWEAT & SMILE VOL.13 陸上競技部(長距離)女子 監督 釜石慶太キラリ★SWEAT & SMILE VOL.13 陸上競技部(長距離)女子 監督 釜石慶太

 

女子第33回 全国高等学校駅伝競走大会(2021年12月26日/京都)
1時間07分16秒のタイムで全国優勝

どん底の体験が
3度の優勝に繋がっています

2021年12月26日。夢の舞台、女子第33回全国高等学校駅伝競走大会で都大路で襷をつないだ仙台育英陸上競技部女子は、首位を一度も譲ることのない独走劇で、史上最多5度目の優勝を果たした。チームとしては30年連続出場。釜石監督にとっては、新生陸上競技部を率いて10年目の節目の年でもあった。

「就任早々の入学式の日、部員勧誘のビラ配りをしたことが忘れられません。部員数が少なくてチームを組めない状態からのスタートでしたから、優勝争いができるようになるには10年はかかるだろうと覚悟していました」

それが、就任6年目に大会史上2位の好記録で23年ぶりの全国制覇。その後3位、優勝、3位。そして2021年大会での優勝へと結果を残した。

「30歳そこそこの私が3度も優勝の感激を味わう。どん底があったから、今があると思っています」

就任1年目は、全国大会20年連続出場記録をなんとか維持できたものの、結果は43位。外野からのバッシングにもあった。

「でも、めげてはいられませんでした。生徒たちに奮起させられ、勇気づけられました。“陸上をやりたいと来てくれた子どもたちの夢をかなえたい”と、誓いました。あの悔しさがなかったら一度の優勝で浮かれ、このようなまとまったチームには育てられなかったと思います」

 

東洋大学陸上競技部で箱根駅伝を走る

仙台育英生だった3年間で
人生が変わりました

釜石監督は、岩手県一戸町生まれ。小学校1年から距離スキーを始めた。中学校では野球部に所属しながら、スキーや陸上でも活躍したが、高校では陸上一本に絞ろうと決めた。そんなとき、仙台育英陸上競技部から声がかかった。

1年生の時は怪我に泣かされたが、2年、3年と都大路の5区を走り区間賞を獲得。チームの3連覇に貢献した。「選手として一番の旬な時期でした」と、振り返る。

「仙台育英陸上競技部での3年間で人生が変わりました。何も知らない田舎の中学生が全国に知られる名門校に誘っていただき、当時、“神の領域”といわれたタイムで優勝できたのですから。将来の選択肢が一気に広がりました」

オファーを受けた東洋大学では高校時代の勢いそのままに、1、2年生で箱根駅伝「山登り」の5区を受け持った。

まさに華々しい選手生活のように見えたが…。

「チームは優勝争いをしていましたが、私がブレーキとなり、順位を落としてしまいました」

3年、4年と箱根を走ることは叶わなかったが、4年生ではキャプテンとして、チームの2連覇を支えた。

大学卒業後は山形県上山市の市役所に2年間勤務。陸上をやってきた経験をもう少し生かしたいと模索していたとき、新体制となる仙台育英陸上競技部から声が掛かった。

 

 

「仙台育英」というブランド力抜きには
優勝を語れません

「私は監督として秀でているわけでも、陸上のカリスマ性があるわけでもありません。結果を残せたのは、生徒たちの頑張りを支えてくれた“仙台育英”というブランド力、学校の力が大きかったと思います」 

一般に学校というのはマニュアル重視で、“冒険を好まない”傾向がある、というイメージを抱いていた釜石監督にとって、失敗を恐れずにつねにチャレンジし、進化し続ける仙台育英の姿は強烈に心に響いたという。

「最先端の良いものを吸収する力と求心力。これが仙台育英のブランド力だと実感しました。そういう学校の姿を見て、私自身もチームも刺激を受けて前向きに進むことができました。2011年、新生陸上競技部誕生時の苦しい時期も学校のしっかりしたサポートがあり、先生方にもつねに応援していただけました。成長を見守ってくださる地域の方々の目も温かでした」

「ここ数年は、憧れと希望を持って遠くから入部してくれる生徒たちが増え、仙台育英の卒業生の立場としても嬉しい」と笑顔で話す釜石監督。現在は、ケニアからの留学生も含め、8割が県外からの生徒たちだ。

 

女子第31回 全国高等学校駅伝競走大会(2019年12月22日/京都)
1時間07分00秒のタイムで全国優勝

環境が人を変えると実感
みんな自慢出来る子どもたちです

高校の現場の指導者は単なる技術の指導者ではなく、教育者でなければならない。良いも悪いも経験した釜石監督の高校・大学の7年間が、指導者としての糧となっている。 

「日本一のチームというと華やかに見えますが、毎日やっているのは泥臭いことです。凡事徹底、要するに基本の徹底です。そして模範となるような生徒になろうとつねに話をしています。陸上部で結果を出したから偉いわけでもないし、特別でもありません。社会人になっても立派に生きていける力を養うのが、高校スポーツのいちばんの目標です」

挨拶をはじめとした礼儀の大切さを教え、部活と同じように勉強にもしっかり取り組むように指導している。中学時代に勉強が苦手だった生徒も、部活と同じように勉強でも頑張るようになった。陸上競技部の女子はどういう存在なのかを一人一人が自覚するようになり、3年間で人としてもたくましく成長したという。

「心技一体。そういう意味で自慢できるチーム、誰からも応援されるチームになってきました」

 

私はマイクロバスの運転手
タイヤが外れないように誘導します

かつては、自分の意図するように鍛えて鍛えまくる根性主義の指導者も多かった。しかし情報社会が進み、個々の考え方も多様化している現在では、生徒と指導者が互いにリスペクトしながらしっかりしたブランディングを作っていかないと、チームとして強くはなれない。釜石監督は自分を“マイクロバスの運転手”、部員を“タイヤ”にたとえた話をよくする。

運転手である監督は一つ一つのタイヤを確認しながら、直進するときもあれば右に曲がるときもある。それも自分勝手にハンドルを切るのではなく「これから左に曲がろうと考えているが、皆はどう思うか」と、生徒の自主性を尊重している。

急に勝手にハンドルを切れば、タイヤが外れてバスは動けなくなってしまう。

「今回の日本一も、私がむち打ってめざしたものではなく、生徒たち自らが上をめざして、自分たちでつくり上げた日本一です。空気圧が高いパンパンのタイヤを履く、つまりやる気満々過ぎてもダメだし、タイヤの空気圧が低過ぎてやる気が全くない状態ではどうしようもありません。“ほどよい空気圧”を保てるように誘導するのが運転手です」

女子第34回全国高校駅伝競走大会県予選会
(2022年11月29日/宮城県岩沼市)
31年連続31度目の優勝

日頃の練習から空気を作り、
空気で支配しなさい

とは言っても、優勝するには生徒たちの自主性や当たり前の頑張りだけではすまない何かがあるはずだ。その質問に、監督は「空気です」と答えた。

強いチームは相手を圧倒するような雰囲気や空気感がある。逆に弱いチームは何か弱そうだなと伝わってくる。そこで生徒たちには「日頃の練習から空気を作り、空気で支配しなさい」と話している。

「本当に頑張らなければならない練習の時はそういう空気をつくればいいし、ちょっと疲労を抜くような練習の時には和やかな雰囲気、空気をつくればいい。その空気のつくり方をしっかりできるのが強いチームです」

空気を作るのは部員一人一人で、客観的に見てチームを鼓舞することを主将や副主将が担い、各学年主任が横の連携を図る。

「そのように縦と横の連携・『軸』を柱にチームマネジメントをしています」

 

生徒たちの自主性を尊重しながら
「さじ加減」に気を配っています

2021年12月の全国高等学校駅伝での優勝後、雑誌や新聞などのインタビューを受けることが多くなった。「指導者として今後の展望は?」、「先生の最終到着点は?」と、よく聞かれる。

「在任中に何回勝ちたいとか、こんな記録を出したいといった、私自身が掲げる目標や展望はありません。走るのはあくまでも生徒ですから」

その言葉の裏には生徒たちへの信頼が感じられる。

「毎年新しい部員が入ってきて、3年間で入れ替わるのが高校スポーツです。誰にもチャンスがあって、3年間努力すれば可能性を広げられます。その年その年で、生徒が設定する目標や夢に寄り添うのが私の役目です」

大事なのは「さじ加減」だ。選手はそれぞれ性格も違うし、走り方も違う。20人いれば20通りの指導法がある。自身の「陸上観」を押しつけたり締め過ぎたりすると、生徒たちは強制された感じがして、チームの雰囲気が窮屈になってしまう。かといって、自主性を尊重し過ぎて「先生はいつも偉そうにしているだけで、自分は何もしていないじゃないか」と思われると、生徒たちはついてこない。監督と選手の間でお互いがリスペクトしあう関係が理想だ。

「揺れ動く思春期。高校生として楽しみたいことは他にもたくさんあるはずなのに、生徒たちは毎日汗まみれで陸上に取り組んでくれる。そして、素晴らしい感動を監督の私にもたらしてくれる。生徒たちには感謝しています。生徒が頑張っているから私も頑張ろうといつも奮起させられています。本当に可愛い子どもたちです」