Photo/東洋大学陸上競技部で箱根駅伝を走る

仙台育英生だった3年間で
人生が変わりました

釜石監督は、岩手県一戸町生まれ。小学校1年から距離スキーを始めた。中学校では野球部に所属しながら、スキーや陸上でも活躍したが、高校では陸上一本に絞ろうと決めた。そんなとき、仙台育英陸上競技部から声がかかった。

1年生の時は怪我に泣かされたが、2年、3年と都大路の5区を走り区間賞を獲得。チームの3連覇に貢献した。「選手として一番の旬な時期でした」と、振り返る。

「仙台育英陸上競技部での3年間で人生が変わりました。何も知らない田舎の中学生が全国に知られる名門校に誘っていただき、当時、“神の領域”といわれたタイムで優勝できたのですから。将来の選択肢が一気に広がりました」

オファーを受けた東洋大学では高校時代の勢いそのままに、1、2年生で箱根駅伝「山登り」の5区を受け持った。

まさに華々しい選手生活のように見えたが…。

「チームは優勝争いをしていましたが、私がブレーキとなり、順位を落としてしまいました」

3年、4年と箱根を走ることは叶わなかったが、4年生ではキャプテンとして、チームの2連覇を支えた。

大学卒業後は山形県上山市の市役所に2年間勤務。陸上をやってきた経験をもう少し生かしたいと模索していたとき、新体制となる仙台育英陸上競技部から声が掛かった。