平成18年度大学入試 大学合格者からのメッセージ
《第2弾 一般入試 編》
 
京都大学 農学部 森林科学科
に一般入試で現役合格
大槻さん
平成18年3月卒
槻木小出身
研修で訪れた京都大学で、
目指す方向が
はっきり見えました


■挑戦する気持ちで
 高い目標にチャレンジ


 秀光5年の冬、先生のご紹介で文部科学省主催のサイエンスキャンプで愛媛大学に行きました。その時に生態系を勉強するならどこの大学がいいか尋ねたら、皆さん口をそろえて「京都だね」と言われたんです。「じゃあ、やってやろうか(笑)」と挑戦する気持になったのが、志望のきっかけです。
 それまでは、同じ生物でも遺伝子に興味を持っていました。でもいろいろ調べるうち、ゲノムや遺伝子組み換えなど、ある意味で怖い世界のように思えたんです。そんなとき、ふと子どもの頃が思い出されました。山にある父の実家で、いろいろな動物たちの姿を身近に見ることができました。動物と植物はどうつながっているのか興味を覚え、生態系を学びたいと思うようになりました。
 京都研修の時、京都大学で受けた講義の中で、先生が「木はコミュニケーションしている」という話をしてくださったんです。とても面白そうで、同じ生態系でも木について学びたいと、目標を絞りました。


■不得意科目の克服は
 教科担当の先生を好きになること


 朝型の生活で、4時ごろ起きて勉強していました。一番比重を置いたのは苦手な数学です。好きな生物や化学は、授業中に自然に頭の中に入ってきて覚えてしまいますからね。英語や国語も、頑張って勉強をした記憶はないですね。能率が上がらないとやっていることが無駄なように思えることもありましたが、そんなときは開き直って映画を見に行ったりしました。でも、最後の夏休みが過ぎた頃からは迷いがなくなって、勉強することが習慣になりました。
 不得意科目の克服は、教科担当の先生を好きになることです。先生方はここをやるべきだと思う大事なところを講義されるので、話を素直に聞いて、しかも授業が面白いという感じになれば、理解力が違ってきます。


■為せば成る!
 最後まであきらめずに


 秀光の6年間で思い出に残っている行事はユーロスクールで、スイスの山が一番印象的でした。天気の良い日で、マッターホルンが湖に逆さに写り、とてもきれいでした。天気が悪くて見られない日も多いらしく、ガイドさんに「今日はラッキーだね」と言われました。山の形や草原の雰囲気など日本にはない景色で、ここは外国なんだという思いを強く抱きました。 
 最後に全校生徒の皆さんに言いたいことがあるんです。実は自分は、模試の判定はいつもCやD。もうだめかと思うこともありましたが、やるだけやってみようと、最後まであきらめませんでした。上杉鷹山の言うように、「為せば成る、為さねば成らぬ…」です。だから頑張ってください。
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東北大学工学部 機械知能・航空工学科
に一般入試で現役合格
鶴岡さん
平成18年3月卒
金剛沢小出身
東北大学二次試験結果
発表の日まで
授業を受け続けました


■入学当初は
 不安だった英語も…


 こうして志望の大学に無事合格できると、秀光での6年間のことがいろいろと思い返されてきます。入学したときには、多賀城校舎のシンボルであるNCホールが出来上がったばかり。「なんて大きな学校だろう」「なんてきれいな校舎だろう」と驚いたのを思い出します。
 入学当初、不安だったのは英語のことでした。多くの人たちが小学校の頃から英語の勉強を始めているということを聞いて、少し不安になりました。私自身はアルファベットがやっと読める程度でしたから。ですが、EFLの授業で外国人の先生とゲーム感覚、遊び感覚で“お話”をしているうちに、なんとか話し、理解できるようになっていき、遅れを取り戻せるようになっていました。


■1年生から6年生までの
 親密な縦のつながり


 秀光での生活を始めて一番おもしろいと思ったのは、先輩との縦のつながりがとても強いということでした。1、2年生での夏のグリーンスクール、冬のスノースクールは1年生と2年生が一緒。先輩と同じ部屋で寝泊まりするという初めての体験は少し緊張しましたが、とても刺激的なものでした。学年の枠を超えた合同ホームルームもありましたし、部活のオーケストラ部では1年生から5年生までが一緒に練習をしました。先輩から学んだことはたくさんありました。
 オーケストラ部では3年生の時からパーカッションを担当してニューヨークシンフォニック(NYSE)とのジョイントコンサートにも参加したのですが、5年生までの3年間を通してNYSEの方と一緒に練習し演奏して、パーカッション担当の方とはすっかり仲良しになりました。5年生の時にはホルストのジュピターという曲で2台のティンパニーを並べて一緒に演奏するという機会も持たせていただきました。「こうして叩くと良い音がでるよ」と英語でアドバイスしていただいたり…。これも公立の中学校、高校ではとても体験できるようなことではありませんね。


■数学での100点をきっかけに
 学習への意欲が


 勉強については、本当にまわりのクラスメートたちが優秀で、はじめは授業についていくだけで精一杯でした。ですが、3年生の時だったか、4年生の時だったか確かではないのですが、数学で100点を取ったのです。それがきっかけで私の中の何かが少し変わりました。やればできるんだ、よし、数学を軸に頑張ってみよう、という気持になったのです。それからは勉強することがとても楽しくなりました。数学の次にはこの教科、次はこの教科というふうに“できる教科”を増やしていったのです。塾に通ったわけではありません。毎日の予習と授業、そして復習をしっかりこなすようにしていったのです。結果、全教科の成績を底上げしていくことができました。

■医療と機械との融合に
 魅力を感じて


 合格にたどりつけた東北大学の工学部を意識し始めたのは4年生の時です。学校で適性検査を受けたら「工学部向き」との結果が出たのです。それで、私の住んでいる金剛沢からは“ご近所”ということで、東北大学の工学部のホームページの探索をするようになり、5年生の時にはオープンキャンパスに参加してみました。そこで出会ったのが「機械知能学科」です。オープンキャンパスでは血液の流れをスーパーコンピュータで解析する研究とか、形状記憶合金を使って心臓の動きを助ける研究といったものが紹介されていました。「工学部なのに医学部みたい! これはおもしろそう」と思ったのです。医療と器械の融合とてもいうのでしょうか。「この学科に進んで医療機器開発の研究をしてみたい」と思うようになったのです。

■二次試験結果発表の日まで
 授業を受けました


 それで東北大学AO入試に挑戦してみることにしました。6年生の秋です。ですが失敗。それでも諦めきれずにセンター入試結果でのAO入試にも挑戦。でも、これもだめでした。でも諦める気にはなれません。センター以降は二次試験に向けて必死になって勉強しました。勉強方法は最後まで学校の授業。仲間たちは次々に合格していき、最後は生徒が私一人の授業になってしまいました。二次試験発表の日まで物理と化学の授業を先生と一対一で受けました。それで合格。ようやく思いを遂げることができました。ですから私が合格できたのは、秀光の先生のおかげ。それ以外の何ものでもありません。
 秀光の6年間で得た一番のものは、もちろん志望大学に入れたこともそうですが、6年間を通して培うことができた仲間との絆。こぢんまりとした学校ですから、同じ学年のすべての人たちと親しくなれたし、みんな互いの性格も理解し合えました。だから、勉強の面でも助け合ったり、落ち込んだときには励まし合ったり。とにかく、6年間、学校に通うのが楽しくて仕方なかったというのがなによりでした。これからの一生を通じて付き合っていくことのできる仲間たちができたことが今の私には最高の幸せです。
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山形大学人文学部 人間文化学科
に一般入試で現役合格
小島くん
平成18年3月卒
涌谷第二小出身

予習復習を積み重ねれば、
塾や予備校に行かなくても
必ず合格できます


■通学の電車内は
 人間観察の場です


 秀光に入学した時、公立より良いと感じた点がいくつかありました。まず、設備が立派なこと。カリキュラムで英語の時間が多く、最初からEFLなど発展した内容であること。課外活動や行事のスケジュールが充実していることです。「6年間も同じ人たちと一緒でマンネリにならない?」とよく聞かれますが、授業も課外活動も先へ先へと進むので、いつも新しい試みに取り組んでいる印象があり、マンネリどころか「今日は何があるんだろう」とワクワクしながら登校していました。通学の電車で楽しみだったのは、各駅から乗り込む乗客の人間観察です。わずかな表情の変化や身体の動きから、その人の疲れ具合や何を考えているのか推理するのがおもしろくて、それが人間の心理や行動様式に興味を持つきっかけになりました。

■生徒会で、奉仕活動の  
 苦労と喜びを知りました


 私は3年と5年で生徒会の副会長を務めました。生徒会活動では生徒から要望のあった球技大会開催を実現できたことが忘れられません。学校側に開催の承諾を得たものの、スケジュール調整が難航し、大会の運営方法、球技のルール、賞品をどうするかなど問題が山積み。大会当日も人手が足りなくて、私が急遽サッカーの審判をするなど最後まで苦労しました。でも、人の役に立ったという達成感が忘れられず、将来は社会貢献できる道に進もうと決心したのです。資源や環境問題を含めた社会の動きを学びたいし、人間の心理にも興味がある……迷っていた時に、山形大学人文学部は社会学・心理学・文化人類学など広範な専門科目を選択できると知りました。また、山形大学は最上地方をキャンパスに見立て、学生と地域住民が一体となって地域活性化と人材育成に努める「エリアキャンパスもがみ」を実行しています。最上地方は自然と人間の関わりも深く、環境問題を学ぶのに最適と判断し、受験を決めました。

■日々の積み重ねが
 合格を導きました

 
 秀光は授業のレベルが高いので、塾へは行きませんでした。私は暗記能力に自信があり、公式も英単語もすぐ覚えられるのですが、秀光では予習をしないと付いていけません。特にレクチャークラスの「若松の数学」は難易度が高く、確実に力が付きます。また、越後谷先生から「受験する学部の専門書も読んでおきなさい」とアドバイスを受け、図書館で社会学や法学の専門書を読むうち、物事をより広い視点で捉えられるようになりました。他に、新聞で社会の動きを象徴するニュースを毎日チェックしていましたが、正直なところ、学校では勉強したけれど自宅では集中できなくてトータルの学習時間が短く、落ちても仕方ないなと半分あきらめていたのです。そして、受験当日。山形大学の面接で「ニート」に対する国の政策を問われた時、今まで覚えた知識がパーッと頭に浮かび、試験官を納得させる意見を堂々と主張できて、自分でも驚きました。
 人間観察をした電車通学、奉仕精神に目覚めた生徒会活動など、私の進む道を示してくれたのは秀光での経験でした。そして、塾へも予備校へも行かず、あまり勉強しなかった自分が国立大学に合格できたのは、難しい授業に鍛えられ、毎日わずかずつでも歩みを重ねてきたおかげです。言葉に表わせないほど多くのことを学んだ秀光の6年間を、私は誇りに思います。
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岩手医科大学 医学部 医学科
に一般入試で現役合格
米谷さん
平成18年3月卒
湧谷第二小出身

“レベルの高い秀光の授業”
受験のこの結果が、
証明してくれました



■大きな刺激になった
 Z会の東大マスターコース


 
父が患者さんを診察している後ろ姿を見て育ったので、幼心におぼろげながら医師という職業に憧れを持ちました。秀光の中高一貫のカリキュラムは医学部に入るには有利に思えて入学を決めましたが、はっきり医師を目指す決心をしたのは、4年生になってからです。学校から推薦していただき、毎週土曜日にZ会の東大マスターコースに通い、東京の有名な進学校の人たちと机を並べる事ができたのが刺激になったと思います。
 ほかの受験生に比べると勉強時間は多くなかったと思いますが、英語は好きな科目で、最後まで苦労することはなかったですね。受験をしてみて、秀光で学んだ英語は本当にレベルが高かったんだなということを実感しました。授業をきちんとこなすことができれば、受験ではかなりいい成績を残すことができると思います。数学は苦手で大変苦労したのですが、先生方のおかげで、他の科目の足を引っ張らない程度までは頑張れたと思います。


■忘れられない6年間
 共に感動し、一緒に泣きました


 6年間の思い出はたくさんあります。毎年行われる合唱コンクールでは、あまり熱心じゃない人を練習に呼び込むために言い合いもあったのですが、最後はみんなの気持が一つになって、もめた分だけ感動は大きかったですね。毎年伴奏を受け持ってくれたクラスメイトがいるのですが、なかなか「伴奏者賞」がとれなくて、悔しい思いをしていたようです。それが、最後の年に受賞することができたんです。頑張っている姿をずっと見てきたので、私もうれしくて一緒に泣きました。
 Sクラブでのボランティア活動も忘れられません。足長学生募金をお願いするため、年2回アーケード街に立ったのですが、人通りが多く、恥ずかしくてなかなか声を出せませんでした。でも、最初の一声を出した後は平気になり、大声で呼び掛けることができました。中越地震の後には被災者の支援にも協力しましたが、終わって募金箱を持った時、大勢の人の温かい気持の重みを感じました。


■明るいクラスの雰囲気が
 落ち込みそうな気持ちの支えに


 受験生といっても私たちのクラスは明るくて、ガリガリという雰囲気はなかったですね。受験直前まで楽しいおしゃべりも聞こえてきましたし、朝も明るいあいさつが返ってきました。私はなかなか思うような模試の結果が出なくて、「どうしよう、このままじゃ受からない」と焦ったこともありましたが、学校に行けばみんなの明るい雰囲気が伝わってきて、それだけで気分転換になりました。
 先生方にも最後まで諦めないよう励まされ、夢の一歩に近付くことができました。これからはたくさんの人の生死の場面に立ち会うことになると思いますが、慣れて流されることなく、心の通う医師になりたいと思います。
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