硬式野球部2年 助監督 根元 将太郎
 
5月22日、あの早朝に事故があったと聞いたときは本当に驚きました。何でよりによってあの時間に同じタイミングで車が突っ込んで来たのだろう。年齢は一つ違うのですが同じ仙台育英の生徒としてとてもショックでした。同時に命の尊さを感じました。
 そして11月10日、代表として硬式野球部が四国お遍路88ケ所巡りに行きました。5日間で48番から70番までの23ケ寺を周りました。その間の移動は主に歩きで山の中を登ったり下ったり、多いときで5時間歩きました。大自然の中を歩き、お経を読み、そしていろいろな人の話を聞き、たくさんのことを学びました。
 お経は読むことで亡くなった方へのエネルギーとなっていくそうです。天国で少しでも元気になってくれたらいいなと思います。
 昔と比べ何もかもが便利になってしまったこの時代、たくさんのことを忘れかけてしまっていたように思います。自然の豊かさ、食べ物に対してのありがたみ、そして何より命の大切さ。他にも今まであまり感じなかったようなことなど、この研修では本当にいろいろなことを感じることができました。
 自分たちは今、来年夏に向けて練習中です。これから同じ生きる者として、はじめさん、あかねさん、めぐみさんの分まで頑張っていこうと思います。



硬式野球部2年 マネージャー 山田 清穂

 5月22日、思い出すだけで悲しみと共にどうしようもないもどかしさが胸を襲う。この忌わしき事故であまりにも尊い3人の命が奪われるという最悪の事態になってしまった。3人は友達と学校行事で楽しく歩いていただけなのに何故。そんな憤りを強く感じたまま約半年の月日が流れた。そして今回、この至誠真勝の研修に同行できることになりました。仙台育英学園3000名の代表という気持ちで四国巡拝に臨みました。自分はこの研修の間、3人の仲間の遺影を持たせていただくことになりました。急な山道でもリュックの中の3人と一緒に歩いているのだからと、少し疲れたぐらいで笑顔を絶やしてられるかと、3人に背中を押してもらっているような気がしました。そんな時、人間の命の重さというものを本当に心の奥から感じることが出来ました。それと同時に、今までの自分が人間の命というものをいかに目先だけで捉えていたのかと、ものすごく3人そして遺族の方々に本当に申し訳なくて仕方なかった。自分が歩けること、食事が出来ていること、今という時に喜び、悲しみ、苦しみ、悩み、たくさんのことを感じることができていること、そして何より、生きていること。これは本当にありがたいことなのだと思いました。そして自分たちが3人のために何が出来るか、何を届けることが出来るのか。
 自分は天国にいる3人の仲間に笑顔を届けたい。それも仙台育英学園生徒全員の笑顔を3人に届けたいと心から思う。そうすればきっと、自分たち一人ひとりの心の中にいる3人もきっと笑ってくれるのではないかと思う。それを現実のものにするには来年夏の甲子園出場でしかないと思う。自分たちには絶対に負けられない理由が有る。自分たち一人ひとりの心の中の今までやってきたこと、3人への想い、何より最後に仙台育英学園生徒全員、3人の仲間、全員が笑顔になれるために、決して下を向かず今を生きていきたいです。



硬式野球部2年 投手 岩松 純平

 5日間、あなたたちと共に歩き、祈り、研修をする中で、私は自動車など発達した現代の文化のありがたみ、毎日食べるものがあることのありがたみ、そして何よりも生きていることの大切さを感じました。しかしあなたたちは、あの理不尽な事故によってその大切な命を落としてしまいました。それでも、あなたたちの魂はまだ消えていないと思います。これだけ未練のある魂を神様が消すわけがないでしょう。
 私は本で、魂だけとなった存在は現地に居続けるか生まれ変わるかのどちらかを選択できる、と知りました。これが実際本当なのかわかりませんが、もし、この選択が出来るのならば、私はあなたたちに生まれ変わってほしいと願っています。この未練を新たな人生で晴らしてほしい。そして私が感じた生きる喜びをあなたたちにも感じてほしいと願っています。いつかどこかであなたたちの生まれ変わった姿に偶然ででもお会いできることを願っています。自分勝手な文ですみませんでした。



硬式野球部2年 捕手 斎藤 泉

 今回の四国お遍路めぐり、硬式野球部としてのしっかりとした3人の供養、至誠・真勝の研修でした。この研修を通して同じ学校の生徒とし不慮の事故で亡くなった3人の生徒を心から供養でき本当によかったと思っています。数々のお寺を足でそしてバスで移動したわけなのですが、古い昔のお遍路はすべて自分の足で徒歩だったのだなと思うと、現代の自分達の生活・文化・社会は裕福で便利で楽になったのだなと身をもって体験しました。そして便利さゆえの気の緩み、生活は裕福になっても人の心は貧しくなったと大先達さんも言っていました。今の時代になって東京のある小学校ではPTAの申し出から何故自分がお金を払ってもいないのに「いただきます」「ごちそうさまでした」を言わなければならないのかと疑問視され自由になったそうです。そんな時代です。そういった時代の流れに何故仙台育英の3人の生徒が犠牲にならなければいけないのか、いけなかったのか、亡くなった生徒が何をしたのかと、日本という国、世間にそう問うてみたいと、同じ学校の生徒というだけである自分がこんなにも憤りを感じ、親の方々の悲痛な想いは計り知ることは出来ませんが、今回のお遍路を通して改めて学んだこと、気づかせてくれたものがたくさんありました。
 この体験をこれからの生活に活かし、3人の力を貸していただき、来年夏頑張りたいと思います。親の方々にも少しでも勇気・元気を与えられるよう仙台育英の一生徒、一人間として精進し頑張っていきたいと思います。



硬式野球部2年 捕手 佐々木 貴広

 自分は四国でお遍路を通していろいろなことを感じた。何故この3人が亡くならなければならなかったのだろう。3人の写真を見てお経を読みながら何度もそう思った。写真に写っている3人の顔は純粋で良い顔をしていた。
 この事件を引き起こした佐藤光容疑者の供述が新聞に「飲酒運転は認めるが危険運転ではない」と載っていた。本当に人の命をどう思っているのだろうか。この供述を聞く限り自分を守っているようにしか思えない。自分の子供が何の罪もなく亡くなるということは、自分が思う以上数倍、何百倍も悲しいことだと思う。
 今現在、自殺をする人が増えている。何故、自ら命を絶つのだろう。また、世界には物も食べられずに亡くなる人や、戦争で亡くなる人もたくさんいる。そのことを考えると生きている自分たちには「生きる義務」があると強く思った。  今、何不自由もなく生きている自分たち。楽しいだとか悲しいなど感情を持てること、夢を持って努力することが出来る自分たち、本当に幸せなんだなと感じた。だから、生きる義務があるのだと思う。お経を読む度、次のお寺に行く度に「自分は本当に幸せなのだから、もっと頑張らないと」という思いが何度も頭の中で繰り返された。「絶対に甲子園に行って頂点に立つ」という思いがより一層強まった。自分は本当に幸せなんだというのを忘れずに一日一日の練習に臨もうと思う。
 この事故に対して遺憾であるとともに、3人のご冥福を心からお祈りいたします。



硬式野球部2年 投手 西澤 英明

 今回の至誠真勝の研修で真剣に3人の事を考えました。高校生という人生の中で一番楽しい時期を何の罪もないのに命を奪われてしまった。何故こんなことが起こってしまったのだろう。何故この3人だったのだろう。
 この日自分たちは公式戦、結果は負けてしまった。夏も負け、秋も負け、自分たちは3人に何もしてあげることが出来なかった。
 研修の中で学んだこと、改めてそうだなと思わされたこと、得たものというのはたくさんあった。そして考える時間もたくさんあった。ふと歩いている時に3人はもうこうして皆と歩くことも、ご飯を食べることも、スポーツすることも、勉強することも出来ないのに、自分はまだこうして皆と歩き、笑ったり、励ましあったり出来ているじやないかと思った。だから3人のぶんも笑い、ご飯を食べ、きついトレーニングもし、勉強をし、3人がもう出来なくなってしまったことを、3人のかわりにやっていきたいと思う。だから、どんなにつらくても、どんなに嫌なことがあっても絶対に乗り切る。これを自分はやっていきたい。
 巡拝をしていて自然の力を感じ、安らぎを感じることが出来た。しかし、世の中には理由のわからない事件がたくさん起こっている。そういうのを見るとやはり悲しくなるし、いつ何が起こってもおかしくないという危機感すら感じる。もっと命を大切にしてほしい。この3人の死を無駄にしたくない。
 3人のために出来ること。さっきも書いたが3人のぶんもたくさんのことに挑戦し、学んでいくこと。そして今生きていることに幸せを感じて今を全力で生きること。  最後に、出来ることは、残り一回の甲子園のチャンスにかけて、3人を甲子園へ招待することだ。仙台育英の仲間として、3人のぶんも必死に生きていきたいと思います。