ホセ・フェルナンデス・デ・コシオ在日キューバ大使 からの祝辞

 
 
加藤雄彦様     
ご家族、ご友人の皆様
ご列席の皆様    

 

 もうすぐサムライ支倉常長の一行が仙台からキューバに行って400年になります。それが日本人とキューバの住民の間でずっと昔に持たれた最初の接触でした。当時キューバはスペイン帝国の遅れた植民地でした。それも、新世界とヨーロッパを繋ぐ中継地として戦力的に重要な植民地でした。

 その時から何百年の時が過ぎ、日本の最初の移民の人達がキューバにやってきました。日本の移民の人達は、その勤勉性、知識の豊富さ、規律の正しさ、そして品行のよさで、キューバにとっての大きな文化的貢献となりました。彼らは、キューバ人という人権的にも文化的にも多大な大モザイクに溶け込み、その構成員の一つとなったのです。

 いかに地理的に離れていても、国民と国民との間では、様々な道、時には驚くような道を通じて、関係が深まり、他にも大きな魅力をもつ文化や価値が存在することをお互いに発見することがあります。それがキューバと日本の場合でした。

 加藤雄彦先生は、ハバナ市歴史事務所のエウセビオ・レアル所長と緊密な連携のもと、サムライ支倉常長のハバナ滞在という忠実を今日によみがえらせる事業のうえで主役を勤められました。そのために、加藤先生と仙台育英学園は、ハバナ港入り口の公園にサムライ支倉の銅像を建てるプロジェクトを実現させるために多大な努力を払われました。この銅像は、初めて日本とヨーロッパを結んだ歴史的な航海、すなわち、メキシコのアカプルコまで太平洋を渡り、その後ベラクルス港からハバナに行き、ハバナからスペインを目指した歴史的な航海、それを永遠に象徴するものとなりました。

 加藤先生は、長年にわたり、キューバへの一貫した友好関係を続けてくださいました。それは、教育交流、スポーツの分野であるいは教育交流の分野で実践された様々な企画に現れています。

 また、新聞や雑誌、インタビューなどで、キューバの大衆的スポーツの発展につき貴重な証言をして下さっています。そしてこのスポーツという国民間の関係を近づける崇高で重要な分野において、両国の友好親善を促進して下さいました。

 2001年、支倉常長の像がハバナ湾入り口という最高の場所に立てられたとき、加藤先生はその除幕式に150人もの仙台市民の人達とご一緒に出席されました。

 去る3月11日、東北そして仙台地方が大震災に見舞われ、多くの命が失われ、甚大な物理的被害が生まれました。世界を震撼させたこの悲劇は、キューバでも人々の深い悲しみと連帯の気持ちを持って受け止められました。

 大震災の直後、ラウル・カストロ議長は自らハバナの日本大使館を記帳に訪れ、震災への深いお悔やみの気持ちと日本国民へのキューバ人の心からの連帯の気持ちをお伝えしました。

 その際、カストロ議長は、日本大使に、日本はその歴史の他の困難な時期にもそうであったように、ストイックな精神と不屈の決意、勤勉さでもって、必ず前進するであろうという確信を伝えました。

 日本では、政府に被災地へのワクチンの提供を申し出ましたが、それ以外にも、私自身被災地を最初に訪問した外交官グループの一つとしてのラテンアメリカ大使グループに加わり、被災地の県や市の方々、避難所の方々などとお話しする機会を持ちました。あらためて被害の巨大さを目の当たりにし、また日本の方々の平静心を失わない勇気ある姿勢を確認することができました。

 キューバ国家は、法律にもとづいて叙勲制度を設け、他の国々の方々が長年にわたり、両国関係発展や国民間の友好親善に重要な貢献をされた場合、勲章を差し上げています。

 以上述べたすべてにより、本日私は、ご家族、ご友人のご列席のもと、キューバ共和国国家評議会とラウル・カストロ議長に代わり、大きな喜びを持って、加藤先生に「友好勲章」を授与いたします。

 
 ホセ・フェルナンデス・デ・コシオ在日キューバ大使からの祝辞【スペイン語】